♯7



いつの間にか、その鼓動すら夕希の心を昂らせている。もっと、もっとこの人を知りたい。

 

 

好きになりたい――。

 

 

合理的で理屈っぽい。女にしては、嫋やかな部分が少ない性格だと思っていたから、こんな情熱に突き動かされる自分を、夕希は初めて知った。

 

 

 

『ごめん。好きになっちゃった』

 

淳弥の告白を聞いたのは、ほんの1時間前だ。

 

 

(こんなことって…)

目の前で、しっかりと耳に残った言葉なのに、現実味がない。

 

 

「うそ…」

 

思わずつぶやくと、淳弥は苦笑いする。

「好き、って言って、嘘だって言われたのは、いとちゃんが初めてだよ」

「あ、ごめんなさい。信じられなくて…」

淳弥の言葉が、じゃない。この状況が、だ。

 

好きな人、或いは心に留まっていた人に、好きだと言われたのは初めてだった。高校の時の彼氏は、友達の延長だったし、大学の時はそれまで殆ど話したこともない男の子から告白されて、断る理由がなくて付き合い始めた。

「…わ、私も好き、です…。淳弥さんのこと…」

言い終わるか終わらないかのうちに、淳弥の唇で唇を塞がれた。ちゅっ、と淳弥の唇でスタンプを押すみたいな軽いキスをして、淳弥はきまり悪そうに笑う。

「俺、いいのかな、いとちゃんにこんなことして」

 

昨日まではいくらプライベートの交流があったとしても、客と店員の壁は越えてなかったのに。淳弥のセリフはそのまま、夕希にも返ってくる。けれど、もう止められなかった。

 

 

「…い、いいです」

彼の行為を許諾してしまうと、ぐっと淳弥の行動は大胆になった。

「可愛い、いとちゃん。好きだよ」

ぐっと腰を抱きかかえられ、もっと強く激しく唇を吸われた。

「…ん…っ」

つま先立ちで淳弥にしがみつきながら、夕希はそのキスを受け止めるのがやっとだ。往来でこんなこと。日頃の夕希だったら考えられない。夕希の日頃の常識的な感覚を麻痺させてるのは、深夜の静寂と闇か、淳弥の情熱か。

夕希の唇を貪ってから、淳弥は夕希を抱きしめる。

「…あんなことあったあとじゃ、ひとりで家にいるの、イヤでしょ? うちに…来る?」

ためらいがちで、でも強引な誘い。けれど、夕希に「否」の選択肢はない。夕希が頷くと、淳弥は夕希の手を引いて、坂を降りた道をコンビニの灯りの方に誘導した。

 

 

初めて訪れた淳弥の家。彼の家のベッドに身を横たえていても、まだ信じられない。

とくとくとく。薄手のTシャツを通して、夕希の頬に伝わるのは、淳弥の鼓動だ。いつもと違う天井を眺めながら、淳弥の腕を枕にして横たわる――

(ど、どうしてこんなことになってるんだろ…)

夕希自身にも、何がどうなってるのかわからない展開で、時計の針はもう3時を過ぎているのに、目が冴えてしまって眠れそうにない。

「いとちゃん?」

夕希が眠ってないのを察したのか、淳弥は夕希を呼ぶと、夕希の方を向く。

「寝れない?」

心配げに訊ねる淳弥の顔が間近に迫る。室内はアパートの廊下の照明が入るだけで、ほぼ闇の中なのに、それでも慣れない至近距離にまた夕希の心臓が跳ね上がった。。

「み、峰さんは…っ」

「俺は明日休みだから平気だけど、いとちゃん明日も早いのかな、って思って」

ネコの写真が可愛くて、衝動買いした自分のスケジュール帳に書いた予定を思い出す。

明日は法科院の講義が午前中から夕方まで入っている。けれど、逆に言えばそれだけだ。

 

講義は遅刻しても、欠席しても、自分が損をするだけで、誰かに迷惑が掛かるわけではない。

「あ…平気です。明日は講義も午後からなので」

初めて一緒に明かす夜なのだ。講義は自分で取返せるけれど、この時間は絶対に戻って来ない。夕希は嘘を吐く。

 

「そう。じゃあ、もうちょっと話しててもいい?」

「…はい」

言ってから、夕希はくすっと笑った。

「なんか、不思議です。峰さんとこんな風にしてるの?」

「…イヤ?」

「イヤじゃないです。そんなわけ、ないじゃないですか」

ぎゅっと淳弥のTシャツを掴んで、更に身体を密着させた。淳弥の鼓動はさっきよりテンポアップしている。

 

この先、どうするんだろ、どうなるんだろ。一瞬先も、一寸先も、どうなるかわかんなくって。

例えば、淳弥がさっき往来でしたみたいな激しさで、夕希にキスしてきたら、きっと夕希はもう淳弥のされるがままに流されてしまう予感はある。

 

けれど、淳弥の方にその気はないのか、夕希が近づいた以上に、身体を密着させてはこない。

そのことに、安心していいのか、もどかしく苛ついているのか。

 

「峰さん…」

「ん?」

「あの…」

(うー、私、何聞いてるんだろ。恥ずかし)

夕希の台詞は途中で消えてしまう。

(だってだって、『しないんですか?』なんて聞けない)

会ったばっかりだし、まだお互い良く知らないんだし、峰さんの対応の方が自然だよ。

自分はこんなに、お手軽に恋を始めて、進められるキャラでもない。

思いつめた夕希の声で、淳弥の方も夕希の心に引っかかってるわだかまりを理解したらしい。

夕希が恥ずかしさと後悔で悶絶していたら、暁闇の中で、淳弥の手が、夕希に伸びてきた。




                                  back

      next