家族になりたい ♯5


 

約束の朝、仕事よりも早い時間に琢朗は目覚めた。服装をどうするか悩んで、結局グレーがかったシャツとタックの入ったチェックのパンツ。黒のジャケットというスーツではないけれど、かっちりした格好にした。

学生の時とは違う威厳のようなものを相手に見せつけたかったからだ。

夕希の初報酬で買ってもらったホイヤーを嵌め、ダイニングに行くと、既に暁も朝香も朝食をとっていた。

 

「私、まだ学校あるのに、お兄ちゃんだけ旅行なんてずるーい」

トーストを齧りながら、朝香がごねる。

「じゃあ、一緒に行くか?」

中学を卒業し、春休みになった暁と違い、朝香はまだ学校がある。無理とわかってて、暁はそう妹に聞く。

「…いい。別に、広島なんて行きたくないし」

「もみじ饅頭買ってきてやるから」

朝香の向かいの席に琢朗は腰かける。琢朗と暁の旅行の真の目的を、朝香だけは知らない。

 

 

今日はこれから暁と広島に向かい、峰淳弥に会いに行くのだ。

 

         ~☆~★~☆~★~☆~★~

 

実の父に会ってみたいという愛息子の我儘と好奇心に、夕希と琢朗は大いに悩んだ。真実を告げた際に、快活で好奇心旺盛な暁がそう言ってくるだろうことを予想していなかったふたりが迂闊といえば迂闊だったのだが。

別に父親がいる、と話をするのと、実際にその人物に会わせるのとでは、暁の意識への浸透度がまるで違う。ぶっちゃけ、他に父親がいると聞かされても、現実にその人物に会わせなければ、暁の中で現実感は薄いだろう。

日を追うごとに、そんな胡乱な話自体忘れてしまうかもしれない。

しかし、ひとたび会ってしまえば、そうはいかない。漠然としたイメージが形になって現れた時、思春期の暁に父親がふたりいるという事実はどういう影響をもたらすのか。

琢朗はそれを恐れた。

 

しかし、最終的には。暁の意思を尊重することにした。真実を知る権利は暁にはある。そう判断したからだ。

 

 

琢朗が淳弥に連絡を取ったのは15年ぶり。最初、琢朗が「上條です」と名乗った時、淳弥は明らかに琢朗のことを思い起こせてはいなかった。

夕希の名を出して、漸く「ああ…」と記憶の糸を手繰り寄せたような声を上げた。

あれほど、彼の人生に大きく関わったはずなのに、15年もの歳月は、赤ん坊を高校生に変え、つらい記憶を脳裏の隅へ隅へと追いやってしまうものなのだ。

 

「貴方に会いたいと言ってる人がいるんです…」

そう言うと、「夕希ちゃん?」と少し弾んだ声が返ってきた。夕希だったら、会わせないよ。そのいらだちは隠して、淳弥の推測を否定する。

「夕希の子どもの方です」

暁という名を、淳弥が知ってるかどうかはわからないから、持って回った言い方になった。淳弥の方も、意外だったのか、浅く息をのんだのが、電波越しに伝わってくる。

「まいったな…話したの?」

「いつまでも隠してはおけないので。と、言っても、貴方に父親としての法的責任を果たしてほしいとかそういう話ではないです」

「わかってるよ、そんなこと。…君が、今更僕にそんなこと言ってくるわけない」

彼にしてみれば、琢朗は夕希と自分の子どもをさらっていった略奪者なのだろう。

及び腰ではあったけれど、淳弥は血を分けたわがことの対面を了承し、待ち合わせの場所と時間を約して、琢朗は電話を切った。

 

その時間に合わせ、新幹線のチケットを購入し、家に帰ってまず夕希に淳弥とのやりとりを話した。

「…夕希はいかないだろ?」

暁と自分の分。2枚だけの特急券を机に並べて、琢朗は夕希の意思を遅ればせながら確かめる。

「うん。朝香は連れていくわけにいかないし、私はお留守番でいいよ」

「ホントはちょっと残念?」

琢朗の悪い癖で、夕希をわざとからかうと、「もう」と夕希はちょっとふくれた。

「淳さんがどうしてるかは気になるけど…」

「なるんだ」

「…奥さんとかお子さんとか…。琢朗、悪い意味に取らないでよ? 私が壊しかけちゃったものが、元に戻ってたらいいな、って願ってるだけだから」

「もともと壊れてたんだろ? あそこ。夕希のせいじゃない」

夕希をかばったのではなく、琢朗の本心だった。寧ろあの互いへの不信に満ちた夫婦の、夕希は巻き沿いになっただけだとすら、見てるくらい。それは、夕希側に立ち過ぎた弁護かもしれないが。

「でも…」

「ま。峰さんが今何してるかくらいは、聞けると思うよ」

軽く請け負って、琢朗は夕希の身体を後ろから抱きすくめる。身じろいだ夕希の顎をすくいあげて口づける。

「たく…ろう…」

「何?」

彼女の着ていたTシャツの裾をたくし上げて、柔らかな胸元に紅い花を散らす。

「…妬いてる?」

自分の胸元に顔を埋めた琢朗に、夕希はくすりと笑いながら聞いてきた。

「まさか」

何度も振られて諦められなくて、結婚したあとも、ともに暮らし始めたあとも、ずっと一方通行のような思いをしてきた。

長く時間を掛けて、そして本当の夫婦になった琢朗と夕希だ。だから、琢朗には自信がある。ちょっとやそっとのことじゃ、揺らがない。

 

「夕希が俺のだって、味わいたいだけだよ」

急に湧き立った欲望の引き金が、峰淳弥の名前であることは間違いないから、これも嫉妬なのかもしれないが。

「私が淳さんのこと、懐かしく思い出せるのは、今、琢朗との生活が満ち足りてるからだからね…」

何処か夕希も後ろめたいのか、言わなくてもいいような、何処かで聞いた歌詞のようなセリフを言う。

「わかってる…」

キスを繰り返しながら、夕希を寝室まで連れていき、ベッドの上に押し倒す。夕希の細い腕が琢朗の首に絡み、彼の身体を引き寄せる。

「暁たちに気づかれないようにね…」

「ん…」

その夜は久しぶりに夕希を抱いた。

 

 

            ~☆~★~☆~★~☆~★~

 

 

「お父さん? トースト冷めちゃうよ?」

ぼんやりと回想していた琢朗を、暁と朝香が不思議そうに見つめる。

気が付くと、時計の針は数字ひとつ分も進んでる。やばい。新幹線、何時だったっけ。

「あ、ああ…」と子どもたちに生返事をし、琢朗は、慌てて固くなりかけた食パンの耳を齧った。