家族になりたい ♯6


 

広島を訪れるのは、夜行バスで行ったあの時以来、15年ぶりだ。新幹線でも6時間も掛かる。不思議なことに、夜行で行った時よりも、遠く感じた。

自分で行くといったくせに、暁などは京都に着く前に既に飽きてしまい、スマホの動画ばかり見ている。

 

広島の駅でお好み焼きを食べて、今度は在来線に乗り換えた。

「どんな人だろ」

現地に近づいたことで、暁の興奮は増長したらしい。まるで芸能人にでも会いに行くみたいに、目をキラキラさせてる。

「…フツ―の人だよ」

あきれつつも、暁の無邪気さに琢朗は少し救われる。この期に及んで、また少し迷いが生じていたのだ。

暁を実の父親に会わせることに。

 

 

更に30分ほど電車に乗っていると、海が開けてくる。入り組んだ海岸線。港に

停泊する軍艦。岸に立ち並ぶ工場。独特の風景が琢朗と暁の前に広がった。

駅を降りて、淳弥との待ち合わせ場所に着く頃には、既に夕刻だった。だが、まだ日は明るい。横浜よりも日の入りの時間が遅いのだ。街の風景をスマホのカメラに収め、夕希に送っていたら、淳弥が現れた。

肌の艶は衰えたものの、浅黒い肌とにこにこと愛想のいい笑顔は、健在だった。今も、営業職にいるのだろうか。

 

「遠いところ、わざわざすみません」

「いえ、無理を言ったのはこちらですから」

本心をオブラートに隠しまくった社交辞令を交わしあったあとで。

「外じゃアレですよね。日が暮れると寒いし」

と、淳弥はふたりを徒歩3分くらいの小さな小料理屋に案内する。5席くらいしかないカウンターは、店主らしい初老の男から監視されてるみたいに近いし、ふたつあるテーブル席は、背中越しにカウンターに座る客に話を聞かれそうなくらい狭い。

(何でこんなとこ…)

けれど、淳弥が言うには、こんな宵のうちからめったに客は来ないし、店主の男は口が堅くて信用できるのだという。少なくとも、客が話してたプライベートを吹聴するような男ではないのだろう。

自分が先に椅子に腰かけて、淳弥は向かいに立つ暁をじぃっと見上げた。

暁は背が高く、琢朗も追い抜かれそうだ。

「おっきいなあ…」

淳弥は暁に羨望の眼差しで呟く。

「名前、なんていうの?」

「暁です。あかつきって書いて暁――」

ガタっと音をさせながら、椅子を引いて座りながら、暁は答える。動作も声もカチコチだ。一応緊張らしきものはしてるらしい。

「暁…」

彼の名を聞いて、淳弥は優しい表情になって目を細めた。

「いい名前だね」

「ありがとうございます。俺も気に入ってます」

 

そこからの父と子の会話に、琢朗は意識的に参加しなかった。出されたお通しをつまみながら、ちびちびと熱燗を手酌で飲む。

暁が今の、自分の状況を話したり、淳弥のことを聞くのを、何となく聞いていた。

けれど、ひとつだけ耳をすませてしまった淳弥からの質問があった。

 

「…お母さん、元気?」

何気なさを装った、慎重な淳弥からの問いかけに、彼の気持ちが透けて見える。琢朗はひどく落ち着かなくなった。

「……っ」

口に放り込んだカキフライで舌をやけどして、口元を抑えた。

「…大丈夫? 父さん」

すぐに暁が氷入りの水を渡してくれて、氷を口に含んだ。

「父さんて意外と世話、焼けるよね」

「…余計なお世話」

「あ、ごめんなさい、話の途中で。――母さん、元気です。いっつも父さんと口喧嘩ばっかりしてますけど」

一言多いよ。訂正したかったけれど、大きな氷が邪魔して、すぐにしゃべれそうにもない。それに、暁の答えに、淳弥は満足そうに、ほほ笑んだ。

「そう…なら、良かった」

 

友達からLINEがバンバン入ってる、とかで、暁が席を立って、淳弥と琢朗はひとつのテーブルにふたりで残された。徳利3本もひとりで開けてしまったせいで、それほど強くない琢朗は、結構酔いが回ってる。いっぽう、淳弥の方は、ジョッキビールを4杯は平らげてるはずだが、顔色にも呂律にも全く酒の影響は見られない。

「そっちはどうなんすか?」

おぼつかない口調で、琢朗は淳弥に同じ質問を返す。

「そっちって?」

「…奥さん、麻衣香さん…でしたっけ…気ぃ強そうな奥さん、いたじゃないですか」

「ああ。――麻衣が、狂言自殺、やらかしたのは知ってる?」

「え…」

何だそれ、知らない。

ほろ酔い気分で、ふわふわしていた頭に、一閃が走り、さあっと靄が晴れていくみたいに、クリアーになる。

「知らなかった?」

意外そうに笑うから、もしかしたら夕希は知ってる話だったのかもしれない。あいつ。夫婦間で隠し事はなし、って言ったのに。

 

「怪我自体は大したことなかったんだけど、麻衣の心のもろさってか、病的なものが、一気に露呈した形になっちゃってね。会社も最初は療養にしてたんだけど、退職して、俺もそんな状態の妻を置いて、単身赴任なんて無理だから、こっちに戻ってくることになった。

麻衣は俺を信じてないから、このころは仕事に行くのすら、毎日毎日何処に行って、何時に帰ってくる、って教えないと、家からも出してくれなかった」

つまり麻衣香の淳弥に対する信頼は地に落ちていたのだろう。夫が女子大生との間に子ども作ってて、しかも離婚なんて切り出されたのなら、無理もないけど。

「…大変、だったんですね」

「自分の子どもでもない赤ん坊引き取った君の比じゃないけどね。…やっと、心療内科に通わなくてもよくなって、麻衣も短い時間の仕事なら、出来るようになった」

琢朗と夕希が、必死に一から家族を作ろうとしてる間、淳弥は一度壊れてしまった家族を再び構築直していたのだ。

「そう、ですか」

それが淳弥にとって、望んだ結果であるようには思えず、「良かった」とは安易に言えなくて、重々しく琢朗は相槌を打つ。

「暁…立派に育ててくれて、ありがとう」

ふいに頭を下げられて、琢朗は焦った。礼を言われるようなことじゃない。少なくとも、彼からは。自分は、彼から夕希も暁も奪ったも同然なのだから。

「やめてくださいよ、峰さん」

「いや…まさか会えるとは思ってなかったし。夕希ちゃんに最後、一度だけ手紙、貰ったんだよね」

顔を上げた淳弥は少し目が赤く、潤んでいた。そして、淳弥は彼のカードケースの中から、小さく小さく折りたたまれた紙を取り出す。

「これ…だいぶ前に、夕希ちゃんから送られてきたんだ」

淳弥が丁寧に広げていくと、それは折り目がいっぱいついて、色褪せた写真だった。琢朗にも見覚えのある写真だ。やっと、ひとりで立ち上がり始めた頃の暁だ。

劣化するとわかってて小さくたたみ、密かに身につけられていた、暁の写真を持ち歩いていた淳弥。琢朗は初めて、夕希が彼に惹かれていた理由がわかった気がした。

 

 

「大きく、なったよなあ」

と淳弥が琢朗の後方に目線を移す。琢朗も彼の視線を追いかけるように、振り返ると、暁が戻ってきていた。

「話、終わった?」

そう言って、暁はにやにや笑う。わざとふたりにしたらしい。息子に一本取られた。

「ああ」

暁に答えて、立ち上がったのは、淳弥が先だった。

 

会計は淳弥が支払ってくれて、表に出ると、すっかり空は暗くなっていた。酔い覚ましにちょうどいい風が琢朗の首筋を撫でていく。

「ホテル、取ってあるの?」

「はい。広島に。せっかくだから、観光していこうと思って。2泊」

「そう。いいとこいっぱいあるから、見ていってよ。海も、綺麗だし。俺は案内出来ないけど」

恐らく、妻にも子にも今日のことは秘密なのだろう。きっと、暁の写真のように、今日の記憶は、淳弥の中で胸の片隅に追いやられる。それでも、会えてよかった…と、きっと淳弥は思っているはずだ。

「じゃ」

駅での去り際。

「…幸せ?」

淳弥がぽつりと暁に聞く。暁は、満面の笑顔で答えた。

 

「はい。俺、この人が父さんで良かったと思ってます」

 

淳弥の表情がくしゃっと崩れた。笑ったようにも見えたし、泣きそうにも見えた。改札を通り、駅の通路をホームに向かいながら、何度も振り返る。淳弥はずっとそこに立ち尽くしたまま、琢朗と暁を見送っていた。

 

 

                (家族になりたい 完)