最終章 ♯2


 

けして、弱みを見せたくない女の前で、すごくみっともないことをしている。既に、夕希と隣にいる上條とか言った青年は、同情めいた視線で、麻衣香の取り乱し様を見守っている。

それでも嗚咽も淳弥の名刺を破る手も止まらなかった。

 

 

 

 

夫の心が自分から離れてしまったことには、とうに気がついていた。

 

けれど、どうしたら彼の心が再び自分に向くのか、麻衣香にはわからない。いや、そもそもどうして彼は自分を倦んでしまったのか。彼の透けて見える感情は、手に取るようにわかるのに、その原因となると、心あたりは全くもって皆無だった。

仕事をしながらも、毎日、手の込んだ料理を作り、家中をピカピカに磨いてる。メイクだって服装だって、流行りのスタイルを常に取り入れ、麻衣香のセンスの良さは、会社の同僚や、ママ友仲間からも常に褒められる。なのに。

淳弥だけが、麻衣香を褒めてくれない。

 

 

(淳くん、わたしを見てよ

麻衣香の心の叫びは、淳弥には全く届かない。

 

結衣が生まれても、淳弥は相変わらずだ。無論、傍目には仲のいい、そして理想的な夫婦に見えるだろう。共働きで、自宅の一戸建ては妻の実家の近く。経済的にも精神的にも、十二分にサポートしてもらえる。傍目には、理想的な家族に映ったはずだ。事実、麻衣香自身、殊更にそれを強調しようとしていた部分もあった。

 

SNSに投稿した写真と記事のいいね、の数が増えても、麻衣香の虚しさは一向に減らない。

 

淳弥は相変わらずだ。無論、目に見える何かがあるのではない。淳弥は優しい。麻衣香のやりたいようにやらせてくれる。しかし、優しさの根底にあるのが、自分への無関心だと知っていて、平気でいられるのなら、もうそれは仮面夫婦だと麻衣香は思う。

 

仕事を休職して出産し、社会との関わりが希薄になると、麻衣香の心の余裕は更になくなり、ますます淳弥に傾倒していってしまう。

 

夫の行動のひとつひとつが気にかかり、ダメだとわかりつつも、自分を律せず、時々ケータイを盗み見してしまうことが増えた。そして、そこにあるのは、自分とのラインやメールのやりとりとは、全く異なる夫の姿だった。

 

特に「森崎佳苗」という女の子とのラインは、レスも早いし、メッセージも長いし、親身になったものが多い。しょっちゅう飲みに行ってもいるようだ。

 

(何、これ…)

 

淳弥のスマホの画面を自分のスマホで撮影する。文面からすると、男女の関係にはなっていないようだが、お互い好意があるのは、見て取れる。淳弥に裏切られた気分だった。

 

すぐに彼女がどんな女なのか調べた。ベビーカーで結衣の散歩をする振りをして、淳弥の会社から出てくる森崎佳苗を張ったこともあった。見た目も性格も、普通の女の子にしか見えなかった。仕事も寧ろ出来ない方で、淳弥がサポートしてることもしばしばだと、伊藤からも聞いていた。

自分より、秀でるところがあるとすれば、年の若さだけ。そんな女に淳弥の興味が移ってるのか。麻衣香のプライドが粉々になった。

 

 

(どうせ男なら、誰でもいいに決まってるのに)

彼女になりすまして、出会い系サイトに登録することなど、大した罪悪感はなかった。

 

そして、麻衣香の嫌がらせにも関わらず、佳苗は更に淳弥と親しくなっていき、ふたりで飲みに行く約束までラインのトークでなされていた。

捨て置けないと麻衣香は、父に頼み込んで、偶然を装い、淳弥と佳苗の約束の場所へ向かう。けれど、デートかと思った約束は、伊藤も現れ3人でのいつもの飲み会で、しかも淳弥は自分が淳弥のスマホを盗み見してるのを承知の上で、敢えて麻衣香を罠にはめたらしい。

 

人が良くて、優しい。夫の穏やかな面ばかりを見ていた麻衣香だが、その夜から淳弥へのイメージはがらりと変わった。意外と、食えない。平気で、嘘を吐く。

 

信じたいのに、信じ切れない。東京本社への異動と、麻衣香の職場復帰が重なり、麻衣香と淳弥は別々の暮らしを余儀なくされる。時々、こっそり淳弥のアパートに行ったり、時には興信所も使って、麻衣香は淳弥の行動を見張っていた。こんなことが淳弥にバレれば、淳弥の心が更に、自分から離れるだろうことは、麻衣香にもわかっている。

 

けれど、理性が感情を凌駕する。出来ることなら、夫のすべてを知って、管理しておきたい。麻衣香には、それ以外どうやって淳弥を愛していいのかわからない。

 

そして、淳弥はまたしても、麻衣香を裏切ったのだ。

 

 

驚いたことに、相手はまだ学生のようだった。

しょっちゅう彼女のアルバイト先のスーパーに立ち寄っているし、彼女が家に来ることもあるようだと、麻衣香の頼んだ興信所は睦まじく肩を寄せあって、夜の道を歩いているふたりの写真を送りつけてきた。

怒りと悔しさに支配され、自分を見失ってしまいそうだ。

(…どうして? 淳くん…)

 

 


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