最終章 ♯15


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「わあ」

目の前に広がった一面の芝生を見て、暁は歓声をあげて、駈け出した。

どうして男の子ってああなんだろ。まるで、犬みたい。やんちゃで元気すぎる我が子の様子に、夕希は呆れつつも目を細める。

あれから、5年の月日が流れ、暁はもう幼稚園に通い始めていた。

 

一発で、司法試験に合格した琢朗は、司法修習を経て、今は大手ではない街の弁護士事務所に就職している。

全部で5人くらいしかいない事務所なので、離婚相談から零細企業からのセクハラ問題、何でも取り扱わなければならず、先輩弁護士に揉まれながら、忙しい毎日を送っている。

いつかは独立するのが夢らしいが、まだまだ時間は掛かりそうだ。

 

夕希の方は、出産した翌年にも、司法試験を受けたが、子育てと家事に負われた中で、勉強が十分だったとはいえず、見事に落ちた。司法試験は5年のうちに3回しか受験資格がない。残り1回となってしまい、背水の陣で迎えたその次の年、見事に合格し、今はネットで法律相談などに答えて、いくばくかの報酬を得ている程度。

いつか琢朗が個人の事務所を開いた時には、一緒にやりたいというのが、目下の夕希の夢だが。

「足引っ張るようだったら、いらないからね」ときっぱりすぎるくらいきっぱり言われている。歯に衣着せぬ物言いが、以前は苦手だったのに、いつの間にか夕希も平然と返せるくらい強くなってる。

 

「暁~、走っちゃダメよ。周りよく見て」

鉄砲玉の暁を夕希は早歩きで追いかける。日曜の公園。犬の散歩してる人やら、暁よりもっと小さなよちよち歩きの赤ん坊やら、はたまたボール遊びに興じてる小学生やら。カオスな広場で暁は縦横無尽に駆け回っている。

「ママ~。早く早く」

目当ての遊具を見つけて、暁が夕希を手招きしている。

夕希も歩調を早めたその時だった。芝に隠れた段差に気づかず、夕希の足ががくんと膝から崩れそうになる。

「きゃ…っ」

「夕希っ」

転びそうになるのを、後ろから支えてくれたのが琢朗だ。

「自分が転びそうになって、どうすんの」

「あ、ありがと」

「ママー、大丈夫?」

暁もすぐに駆け寄ってきてくれる。

「大丈夫だよ。暁は優しいな」

琢朗が褒めて、暁の頭をぐりぐり撫でたから、暁の方は、得意気ににこにこしてる。暁はもちろん、琢朗の職場の人も、夕希のママ友も、誰ひとり知らないし、疑ったりもしない。琢朗と暁が実の親子でない、なんてことは。

 

「ママは今、大事な身体なんだから、気をつけなきゃダメっ」

琢朗の口真似をして、暁がドヤ顔で夕希に言う。ませた口調に、夕希も琢朗も思わず苦笑いだ。――そう、今、夕希はふたりめの子どもを宿していた。

今度は正真正銘琢朗の子で、今5ヶ月。どうやら女の子らしい。

真っ先に喜んでくれただろう琢朗の父は、この報告をする前に他界してしまった。通夜のあと、誰もいなくなった薄暗い斎場で、父の遺体と遺影を前にずっと立ち尽くしていた琢朗の姿は、今も夕希の目に焼き付いている。

自分は、琢朗が望んだ「家族」を作れているのだろうか…。

 

「暁、あのアスレチックで遊んでていいぞ」

「うんっ」

琢朗が許可すると、暁は颯爽と丸太で作られたアスレチックに登り始める。暁が掴むには丸太は大き過ぎるように見えるのだが、上手に足を掛け、登っていく。

「たくましいねえ」

アスレチックのすぐ脇に立って、暁の姿に琢朗は目を細めてる。運動能力は、スポーツマンだった本当の父のDNAを引き継いでいるのかもしれない。

「この間俺さ、暁に聞かれちゃったよ。『パパとママはどうして結婚したの?』って」

「え」

琢朗が何気なく話す言葉に、夕希はドキッとした。もう、そういうことを尋ねるような年なのか。暁の成長が嬉しい一方で焦ってしまう。

「なんて言ったの?」

「お前がいたからだよ、って言っておいた」

「やだ」

確かにその通りなのだが、5才児への回答としては、琢朗の答えはどうなのだろう。けれど、今の質疑応答に限らず、琢朗は暁を子ども扱いせず、対等に接する節がある。

――暁が生まれて1年くらいしてから、夕希は一度だけ淳弥に手紙を出したことがある。暁の写真を添えて。

淳弥からの返信はなかった。けれど、それでいいと思った。

もう、淳弥にとっても夕希にとっても、あれは過去のことなのだ。返信を寄越さなかった淳弥はきっと、麻衣香と前向きに暮らしてるのだろう。

 

「…琢朗」

「ん?」

「ありがと」

積り積もった感謝を伝えて、夕希はそっと琢朗の手を握った。同じ強さで琢朗は夕希の手を握り返す。

「パパ、ママ~っ、見てみて。いちばん上まで登れたよ~」

アスレチックのてっぺんで、誇らしげに手を振る暁の姿を、夕希も琢朗も眩しげに見上げた。

 

 

 

 

              いちばんになりたい(完)