淳弥side ♯10


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ここまでの経緯を話すと、伊藤の表情は更に苦虫を噛み潰したようなものになった。淳弥を詰りたいのを、理性で堪えてる…そんな顔だ。入社以来、目を掛けてくれている恩人とも言える上司に軽蔑されたかもしれない。

 

 

「で、これからどうするの、お前は」

伊藤に端的に尋ねられて、淳弥は夕希と別れてからずっと考えてたことを口にした。

「離れてわかったんです…麻衣香とは、やはりやっていけない。だから、離婚しようと思ってます」

大きく目を見開いて伊藤は息を飲む。

「……」

「条件は麻衣香の言いなりでいいと思ってます。けど――これは、夕希ちゃんのせいじゃない。俺たちはとっくに終わってた。本当なら、単身赴任の前に精算すべきだったのに…俺の優柔不断さと怠惰さから、俺は麻衣香の前から逃げ出した」

 

一時避難は何の解決にもならないのに。そして、避難先で淳哉は拠り所を見つけてしまった。

 

「…そうだな…」

「なるべく麻衣香を刺激せずに、別れたいんです。けど、これは俺たち夫婦の問題だから。夕希ちゃんは巻き込みたくない、絶対に」

淳弥の言いたいことはわかる。森崎の件でもそうだが、麻衣香は一度疑い出すと徹底的に調べ上げるし、追い詰める。淳弥が黙っていたこととはいえ、「知らなかった」という夕希の言い分を鵜呑みにする女ではないだろう。

 

 

けれど…。

 

 

「今朝方、来た子のことは、麻衣香ちゃんは既に疑ってたぞ」

淳弥の切実な願いを覆すことを、伊藤はくちはぼったそうに切り出した。

「さっき聞かれたんだ。今朝、峰を訪ねて東京から男の子と女の子が来たけれど、糸井さんて言う子は向こうにいるのか、と」

(…ああ、やっぱり)

淳弥のその場凌ぎの嘘なんかを簡単に信じてくれる女ではなかった

「伊藤さんはそれで何て?」

「いや、向こうの社員のことまではわかんないなあ…としか、答えようがねえよ、俺だって」

「ですよねえ」

それにしても、食いつきの早い麻衣香に淳弥は苦笑いだ。

 

「今、離婚なんて切り出したら、真っ先にあの子…」

「わかってますよ。俺だって、そこまで短絡的じゃない」

残ってたノンアルコールのカクテルを飲み干して、淳弥はおかわりをする。グリーンのグラデーションが鮮やかなそのドリンクを、1杯めははすぐにマドラーでかき混ぜてしまったのだが。

 

なんだか人間の心理の層のように思えて、じいっとグラスを見つめた。

少しずつ色を変えて行く鮮やかな飲み物。隣同士のカラーの境界は曖昧なのに、飲み口と底の部分は明らかに違う。

 

 

人間の感情も同じようなものかと思う。恋も、決意も。最初はあやふやなのに、気が付くとそれらは自分の中ではっきりと色を成して、もう塗り直せ無いところまで来てる。

 

 

「麻衣香ちゃんと別れて、お前はその東京の学生と一緒になるのか?」

伊藤の問いかけに淳弥は即答した。

「まさか。俺にそんな資格ないですよ」

 

それに、絶望させ、軽蔑され…もう夕希は淳弥の顔も見たくないはずだ。

彼女は自分でも言っていたが、もう店には来ないだろう。引っ越しもすると言っていた。

もう、自分との接点はなくなる。司法試験まで、あと1年弱。勉強の方に専念して欲しい。

 

 

「…いいのか? それで」

伊藤の方が辛そうな顔になる。何だかんだと人のいいこの上司が、峰はやはり好きだ。

「いいんです。それより、俺が向こうに帰ってからでいいんで、麻衣香に糸井夕希が社員だったとさりげなく言っておいてもらえませんか? 伊藤さんの言うことなら、麻衣香は信じると思うから」

マドラーでカクテルをかき混ぜながら、淳弥は伊藤に乞う。

 

麻衣香に知られたら、絶対に麻衣香は夕希を追い詰める。巻き込みたくはない。自分で引きずりこんでおきながら、淳哉は身勝手なことを願う。犯してしまった罪の大きさ。ふたりの女性に対しての自分の不誠実な態度。今更悔いても、やってしまった事実は覆らない。

ならばせめて――夕希には、自分とは関係のないところで幸せになって欲しいのだ。他に淳哉が夕希に対して出来ることなんて、何も残っていない。

 

 

「…それくらいなら構わないけど」

伊藤はあっさりと請け負った。

夕希はもう東京に帰っただろうか。…あいつと。

まるでナイトみたいに夕希に付き添ってた男を思い出して、淳弥の胸は嫉妬に炙られた。

 

 

家に戻ったのは、深夜12時を過ぎていたのに、麻衣香はまだ起きていた。

 

 

「淳くん、お帰り」

やはり麻衣香は寝ないで淳弥を待っていたらしい。

「あ…寝てて良かったのに。麻衣は明日も仕事だろ?」

「そう。プレゼンの資料、読んでたからちょうど良かったの。――何か軽く食べる? それともコーヒーでも淹れる?」

「いや、いいよ。シャワー浴びて寝るから、麻衣は先に休んでて」

「久しぶりに帰ってきたのに、冷たいのね、淳くん」

麻衣香は淳弥の腰にしがみつくと、艶っぽい声と目で恨みがましく言う。

淳弥の方からくちづけると、麻衣香は積極的に舌を絡めてきた。

「寝室に…行く?」

「ううん、ここがいい」

ここ、って…。戸惑いながらも、淳弥はソファにシートに妻の身体を横たえる。久しぶりのせいか、いつもと違うシチュエーションに燃えるのか、麻衣香の身体はいつもより反応が良かった。

 

 

『…淳さん、私、ちゃんと抱いて欲しいです…』

罪の意識に苛まれながら彼女を抱いたあの夜の記憶が、淳弥の中から消えることはないだろう。

夕希の声を匂いを思い出しながら、淳哉は妻を抱いた。

 


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