淳弥side ♯12


淳弥が次に目覚めたのは、知らぬ部屋のベッドの上だった。目をぱちっと開いた瞬間、夕希の姿を視界に捉え、よく見ようと身体を起こそうとして、右の脇腹に激痛が走った。



「動いちゃ、ダメです、淳さん」

「…みたいだね」


混乱していた意識が次第に戻ってくる。そうだ。あいつに刺されたんだった。てことは、ここは病院か? 自分の腕から延びた点滴のチューブを見て、淳弥は自らの問いかけの答えに確信を得る。



「夕希ちゃん、あの男…っ」

「すぐに警察の人が来て、逮捕されました。私が110番通報しようとしたら、もうパトカーがすぐ傍まで来てて…淳さん、予め通報してたんですね」

「…自分が刺される想定はしてなかったんだけどね」

「…痛くないですか?」

「うん、痛い」

「8針、縫ったって言ってました」

「う…」


それは意識を失っててよかったかもしれない。けれど、死ぬかもしれないと覚悟した傷は実際はそんな物だったのか、と自分の大げさな想像におかしさもこみ上げた。



夕希を襲った男は牟田隼人。27歳。少し障害があるらしい。今も、警察の取り調べに対して、糸井夕希は俺の彼女だ。あの男の方がストーカーだ、と繰り返しているらしい。無論、彼の言い分を夕希は全面否定しているらしいが、もしかしたら罪を問えないかもしれない。法を勉強している者の冷静さと緻密な知識で、夕希はわかりやすく淳弥に説明した。


「…そう」

婦女暴行のみならず、淳弥への傷害もあるのだから、罪は重くなると思ったら、無罪になるかもしれないなんて。がっかりだ。

「でも今も警察に拘束されてるんだし、私だったら平気です」

「夕希ちゃん、ずっとついててくれたの…?」

時計を見ると、既に昼を回っている。アルバイトや学校は大丈夫なのだろうか…。


「…はい」

「ありがと。…元気だった?」

「はい」

「でも、ちょっと痩せたね、夕希ちゃん」

昨夜抱きしめた時も思ったのだ。前はもっとふんわりしていた肩や腕の肉付きが少し薄くなっている。


けれど、その話題を振った途端に、夕希の表情は固くなった。

「…気のせいですよ」

素っ気なく返され、淳弥もしつこくその話題を追うのをやめる。やはり、身体的な変化というのは、あからさまに女性に対してあげつらうのは失礼になるのだろうか…それくらいのことしか、思わなかった。


自分の鈍さを、淳弥は後で悔やむことになるのだが。



淳弥が運ばれた病院は市内の大きな救急病院だった。あとで聞けば、夕希が入院の手続きやら、その後の警察との実況検分やらは全て立ち会ってやってくれたらしい。

 

淳弥のニュースは地方の新聞と朝のニュースで小さく取り上げられた。…麻衣香の耳には入ってきてるのだろうか。どっちみち、隠し通すことは出来ないだろうが。

麻衣香にどう言い訳をしようか、淳弥はまたも拙い弥縫策を考えてしまう。

 

 

「私のせいだから」と義務感たっぷりに、夕希は毎日病院に来る。

 

「淳さん、聞いてもいいですか?」

今日も昼間、アルバイトの休憩時間に顔を出してくれた夕希は、ベッドサイドの椅子に腰掛ける。

「何?」

「あの日…どうして、淳さん、すぐ傍にいたんですか?」

夕希の疑問はもっともだった。

「夕希ちゃん。俺のカバン取ってくれる?」

「え、はい」

入院以来、一度も自宅に帰っていない淳弥だから、あの夜の荷物もスーツもそのまま病院にあった。

小ぶりのロッカーの中から、夕希は淳弥のブリーフケースを彼の膝の上に載せた。淳弥はその中から、あの日ポストに入れようとして結局持ち帰った封筒を取り出す。

「これを君の家に届けようとした時、あいつとすれ違った」

「……」

「迂闊だよね、その時は俺、気づかなかったんだ。けど。あの夜、また君のスーパーの前であの男に会って…ターゲットは君だって確信した。だから、尾行てたんだ」

「そうだったんですね」

夕希は驚いた風にも嬉しそうにも見えなかった。恐らく、ある程度の想像はしていたのだろう。

聡明だけれど、控えめな夕希が、淳弥はやはり好きだ。

「夕希ちゃん…」

痛む脇を抑えて、そっと夕希の髪に手を伸ばそうとする。あの夜抱きしめて以来、夕希には一度も触れていない。

「淳さん」

けれど、淳弥の手が夕希の髪に届く前に、夕希は空中で淳弥の手を捕まえる。

「淳さん、退院したら、私はもう淳さんの前に現れませんから」

「……」

「奥様と幸せになってください」

ケガしたことへの責任は負うけれど、それに絆されてヨリを戻したりはしない。夕希らしい線引の仕方で、そう言われたら、淳弥はもう何も言えなくなった。

 

 

そして、その日以降夕希は病院には現れなくなった。

 

 

 

いつもなら夕希がやってくる昼下がり。

 

 

「どーも」

と病室にはそぐわない挨拶と共に入ってきた男を見て、淳弥は思わず二度見してしまった。

「刺されたんだってね」

スカルマークのついたTシャツに紫色のパンツ。腕と指にジャラジャラ装飾物をつけた琢朗は、その出で立ちに全く不似合いな可憐な小さな花束を携えて現れた。

「ああ…」

「けど良かったですね。命に別状なくて。あ、飲みます?」

と缶コーヒーを缶のまま渡された。

 

「いや、今はいい」

混乱しつつ淳弥は答える。

(何で彼がここに?)

夕希が話したに決まっているが、では何故話したのか。淳弥が納得出来る答えはひとつしかなかった。

 

 

「…夕希ちゃんと付き合ってるの?」

それが自然だ、その方がいいに決まってる。特に琢朗の方は、前々から夕希に好意を抱いているのが見え見えだったのだから、こんなチャンスを逃すはずがない。

けれど、淳弥が尋ねると、琢朗は急に不機嫌な顔になった。

 

 

「なわけないでしょ。彼女、今たいへんな時なのに」

「司法試験前だもんな」

けれど、それが終わって晴れて合格したら…、きっと…。その想像が淳弥の胸を掻き毟る。こんな想像で嫉妬するくらいなら、何故昨日、「奥様と幸せに」と言った夕希に「離婚する」と言えないのか。

身勝手過ぎるとわかっていながら、しゃにむに強引に「君がほしい」と訴えることも出来ないくせに。

 

 

淳弥の乱れた心の内を知ってか知らずか、琢朗は蔑んだような視線を淳弥に送ってきた。

「…そうじゃねえよ」

「え?」

 

司法試験以外に彼女が優先すべき大変な事なんてあっただろうか。ストーカーの牟田については、一応彼が逮捕されてるのだし、問題はないだろう。あとは…もしや麻衣香が、また何か?

 

「どういう意味だ」

淳弥は琢朗に問いただす。

「糸井サンには絶対言うな、って言われてんだけど」

「…だから何をだ」

「フェアじゃないと思うから、言っとくわ。言ったからって、あんたに何が出来るとは思わねえけど」

散々もったいつけてから、琢朗は淳弥の想像を遥かに超えたことを言ってきた。

 

 

「――糸井さん、妊娠してるんだよ」

 

 


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