淳弥side ♯13


夕希の顔がやつれてたわけはこれか。

 

「……」

琢朗の衝撃発言を、淳弥は「嘘だ」などと反駁することはしなかった。「誰の子?」などと尋ねることも。

夕希が妊娠しているのなら、それは自分の子どもに決まっている。

まさか。けれど。見に覚えはあるのだ、ありすぎるくらい。

 

「…夕希ちゃんどうするって?」

「生む、って言ってるよ。この大事な時期にさ。妊娠しながら、勉強して仕事して。赤ん坊抱えて、試験受ける気だよ、あの人。あんなばかだとは思わなかった」

琢朗はそう言うと、大きく天を仰いで、ため息をつく。言葉使いは荒々しいが、それが夕希のことを憂いての言葉だというのは、淳弥にもひしひしと伝わってくる。

 

 

寝食を削り、おしゃれもレジャーも我慢して、ストイックに真摯に頑張ってた夕希の姿を、淳弥も見てきている。その彼女の目標なり生きがいを、自分が奪う結果になってしまうなんて。

これも自分にくだされた罰なのだろうか。

 

「…無理だろ。そんなの」

「あんたの言うことなら、糸井さん聞くだろ? 糸井さんに言ってよ。――堕ろせ、って。おもいっきり絶望させて、誰があんな男の子どもなんて生むもんか、って思うくらい憎まれてみせろよ」

夕希に堕胎を促す。残酷な要求を淳弥に突きつけて、琢朗は帰っていった。

 

 

自分と夕希の間に出来た子ども。不倫の末の命であっても、命は命だ。淳弥の都合だけで生めだの堕ろせだの言いたくない。

(夕希ちゃんに話をしなきゃ…)

麻衣香にもこのまま黙っているわけにも行かないだろう。――怪我のことも、夕希のことも。

 

 

夜、淳弥は久しぶりに麻衣香に連絡を入れた。淳弥の入院を伝えると、麻衣香は実家の両親に結衣を預けて、すぐに来てくれた。

 

「…もう、何やってんの、淳くん」

叱責しながらも、麻衣香はかいがいしく淳弥の身の回りのことをしてくれる。隣のベッドの人やナースステーションのへの手土産の差し入れまで。

けれど、麻衣香の看病が献身的であればあるだけ、淳弥は息苦しくなる。温度も水質も照明も、きちんと管理された水槽の中で飼われているような気分になるのはどうしてだろう。

そして、自分はその水槽の中から飛び出そうとしている金魚みたいなものかもしれない。

 

 

「麻衣…話があるんだけど、座ってくれないかな」

カーテンを閉めようと窓際に立っていた麻衣香に、淳弥は促す。言いたくない。けれど、事ここに及んで、もう隠したりは出来ない。

「なあに、淳くん」

丸い簡易な椅子に麻衣香は腰掛ける。

「…別れて、欲しいんだ」

淳弥の一方的な要求に麻衣香の態度は豹変した。

 

「な、に言ってんの? 何言っちゃってんの? 何で、あたしが淳くんから、別れつきつけられなきゃいけないの?」

「君は、悪くないよ。ただ、彼女に子どもが出来たんだ」

「それが、何? 散々不貞を働いておいて、更に妻を裏切ろうっていうの?」

麻衣香の据わりきった瞳が、開き直った答弁が、淳弥の背中に悪寒を這い回らせる。驚愕の淳弥の表情とは対照的に、麻衣香はけらけらと笑い出した。

 

 

「ほんとにねえ、あの子が刺されれば良かったのにねえ…使えないったらないよね。それに、淳くんも何やってんの? どうして、あんな子庇ってるの?」

「麻衣…?」

「私が、なんにも知らないとでも思ってた? 全部、知ってるよ、淳くんが向こうでやってきたことなんて。――糸井夕希が妊娠してることもね」

「――!!」

自分が、今日知った事実を、妻は広島にいながら、知っていたという。いつから、知っていたのか。いつから、疑っていたのか。常に監視されていたみたいで、薄気味悪いことこ上ない。

 

「…どうやって…」

「そんなこと教えるわけないでしょ? 離婚なんてしたら、私、糸井夕希に何するかわかんないよ? …ねえ、淳くん。牟田に糸井夕希を襲わせたのは、私なんだ、って言ったら信じる?」

「……」

信じない信じたくない。けれど。小さくしか報道されなかった事件の犯人の名まで、何故麻衣香は知っていて、知り合いのように呼んでいるのか。

 

 

(――同じだ、森崎の時と)

守るつもりが全然守れていなかった。麻衣香の狂気の矛先が、既に糸井夕希に向いていたなんて。計り知れない罪悪感と絶望感が、淳弥を襲う。

 

「麻衣…っ」

「もう、こっちに帰って来なよ。淳くんには、あたししかいない、ってよくわかったでしょ?」

一転したしおらしい笑顔、健気な言葉。けれど、その裏に潜んでる狂気をイヤという程知ってしまっては、もう愛おしいなんて感情は皆無で、ひたすら恐怖だった。

淳弥が麻衣香の元にさえ戻れば、これまでの不貞行為は目をつぶる、糸井夕希には手出しはしない。麻衣香からの交換条件だった。

 

 

「こっちに帰ってくるの楽しみにしてるね。淳くんの大好きなカキフライ作って待ってるから」

 

仕事があるから、と麻衣香は淳弥の退院を前に、一度広島に帰ってしまう。

 

 

退院の日。

淳弥は自分の家に帰る前に、タクシーで夕希の家に寄った。けれど、糸井の表札はもうなく、部屋のカーテンも外されている。慌てて、ラインを探したが、とっくに友達登録は解除になっていて、検索しても出て来なかった。直接の電話も、メアドも、全て契約が切れている、と電子音が流れるだけ。

 

 

糸井夕希は淳弥の前から姿を消してしまっていた。

 

 

 

                                                 淳弥side 完

 


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