淳弥side #4


森崎。森崎佳苗は、淳弥に出来た最初の後輩だった。大学卒業したての女の子で、ちょっと抜けてて、上司の伊藤や、もっと上の部長に怒られることも多くって、淳弥はその慰め役だった。

 

何かと言うと「私、向いてないんです、やめようと思ってます」と間違った方向に責任を取ろうとする香苗を、連れだして話を聞く。大体はランチの時が多かったのだが、そのうち就業後も伊藤と峰が飲む際に連れて行ったりもした。

 

当時、まだ結衣は生まれたばかりで、麻衣香はそっちにかかりきりだ…と思ってた。だから、少し羽目を外し過ぎてしまったのもあると思う。

 

頻度としては、月に一度か二度、本当にたまに。香苗とふたりきりで飲むこともあった。それは香苗だけを誘ったわけではなく、伊藤が不在だったと都合悪いとか、そういった理由によって、いつも3人だってのが、今夜はふたり。淳弥にしては、それくらいの感覚。

 

 

ある夜も、やはり淳弥と香苗は行きつけのお好み焼き屋で飲んでいた。8割サラリーマンで、店の前には赤ちょうちんがぶらさがって、席もカウンターしかないような、小さな場末の食堂。

 

 

「先輩、先輩はこの仕事、一生続けていきます?」

チューハイを煽りながら、佳苗が聞く。目がすわりかけてて、ろれつも危うい。あ、飲ませ過ぎたな…と、淳弥は後悔する。さりげなく、淳弥はジョッキを遠ざけた

「あたしは~っ、結婚したら家庭に入りたいんですよねえ」

それは佳苗を見ていれば、自ずと察せられた。愛想はいいが、他力本願で、自分で何かをしようという意思は弱い。

 

 

(麻衣香とは正反対だもんな…)

 

淳弥の妻、麻衣香は産前8ヶ月まで働いていた。産休中の今も、妻の指示や助言をもとめて、電話やメールが来ているくらいだ。麻衣香も、人に頼られたりするのは好きだから、大いに親身になって相談に乗っている。

そんな妻に羨望を覚えると同時に、夫としてのやりきれなさも感じてしまう。

 

(この娘くらいが、俺にはちょうど良かったのかも…)

 

 

真っ赤な顔で、とろんとした瞳で淳弥を見つめる佳苗。触れなば落ちん。淳弥が誘えば、きっとホテルくらいはついてきそうな風情だ。

 

(…なんてね)

 

そんな話は小説やドラマの中だけだ。あわよくば…の浅ましい妄想を、淳弥は笑って、伝票を持って席を立つ。

 

 

――俺には、麻衣香も結衣もいる。

 

 

愛すべき存在、守りたい家庭。淳弥は壊す気なんて何処にもなかった。

 

 

 

 

結衣の首が座り、あやすと笑うようになり、娘の目覚ましい成長を目の当たりにする日々。

「結衣はきっとママに似て、美人になるぞー」

高い高いをしてやると、きゃっきゃ笑う娘に、淳弥はそう話し掛ける。

麻衣香は淳弥が結衣をあやしてる間、パソコンを見ていた。マウスだけを動かして、じいっと画面を食い入る様に見てるから、恐らく通販でもしてるのだろう。

 

「夏休みはみんなで出かけたいな、ね、ママ」

ママ、と麻衣香を呼ぶと、麻衣香は顔を顰めた。

「やめてよ、淳くん。ママなんて言わないで。私は、淳くんのママじゃないんだから」

ね~、結衣。と、麻衣香は何もわからないあかちゃんに同意を求めて、淳弥の手から、我が子を抱き取った。

 

「もう、いいのか? パソコン」

「うん」

「じゃあ、使っていいか?」

「いいよ。スリープのままだから」

 

赤ちゃん お出かけ 広島 で、検索を掛けると、まだ歩けないあかちゃんんでも、楽しめそうな施設が沢山出てきた。

 

 

何処がいいかな。淳弥は無造作に上から順にクリックしていく。娘との休日の過ごし方に思いを馳せる淳弥には、その前に麻衣香がこのパソコンで何をしていたかなんて、想像さえしなかった――

 

 

それから2週間程した頃。

淳弥はまたしても、佳苗から相談を受けた。最近は、仕事ぶりも板につき、叱責を受けるようなことはなくなっていたはずだが。

 

相談内容に心当たりがないなあと思いながら、佳苗に呼び出された資料室に向かう。淳弥思いつめた顔の佳苗から見せられたのは、ケータイの画面だった。

 

「最近、変なメールとか送られてくるんです」

 

と見せられたメールフォルダは1日で100件を越えている。しかも、全部違う名前だ。

 

「…何、これどういうこと…」

「わ、かんないんですけど、なんか、私の名前や連絡先が出会い系サイトに登録されてるうみたいで…」

あるサイトを通して、知らない男性からバンバンメールが来るらしい。

「どうしてこんな…」

「わかんないんです。サイトに本人が登録してないから、データを削除して欲しい、って言っても、なかなか応じてくれないし、登録してるのもひとつじゃないみたいで…」

佳苗の眉が不安げに寄せられる。そりゃそうだ、こんなの気持ち悪いし、たまったもんじゃない。

 

とりあえず、メアドを変えてみても、また新たなメアドにメールが届くだけだった。

「あーもう、最近メール音聞くの怖いですもん…」

おどけて言っているが、佳苗の細められた瞳の光は鈍い。相当精神的に参ってそうだった。

「だよねえ」

相槌を打ちながら、淳弥の心にあるひとつの仮定が生まれていた。

 

 

(まさか…麻衣香…?)

 

淳弥のスマホに当然、佳苗の連絡先は入ってる。けれど、そのデータを盗み見して、佳苗に嫌がらせをしたりするだろうか…。

 

 

佳苗を宥め、ケータイの番号を変えるようにアドバイスをして、淳弥は家に帰る。麻衣香はいつもと変わりない調子で、淳弥を出迎えてくれる。

 

 

食事の後、淳弥はわざとスマホをリビングのテーブルに放置したまま、席を立った。ズボラな淳弥はスマホの置き場も定めておらず、見つからなくて、家の電話や麻衣香のスマホからコールしてもらい、探すのもしょっちゅうだ。

けれど、この時は誰かが触ったら、すぐにわかるように置いた場所の写真を撮っておいた。

 

風呂を出て、水分を摂りたくて、キッチンに向かう。麻衣香はまたパソコンを弄っていた。

 

「…お茶、もらうよ」

「あ、やるわよ」

麻衣香はすぐに立ち上がって、グラスに冷茶を注いでくれる。

「麻衣」

「何?」

「俺に何か言いたいこと、あるんじゃない?」

怒りや不満があるのならば、自分にぶつけて欲しい。そう思って、淳弥は麻衣香に尋ねる。けれど、淳弥の問いかけに、麻衣香は笑顔で首を振った。

「ううん。ないわよ。淳くんは理想の旦那さまだもの」

 

過剰な盲目的な妻の賛辞が、何故か淳弥には自分を拘束する足枷のように思えた。麻衣香は必死に理想の妻を演じている。だから、淳弥も理想の夫になって欲しい――。

 

 

「ないならいいんだ…」

 

けれど、そこで妻にもう一歩を踏み出せない。自分に苛立ちを覚えながら、淳弥はふとリビングのスマホに目を留めた。

 

無造作に雑誌の上に置いたスマホは、さっき淳弥がこの部屋を離れた時とは、明らかに下に隠れた雑誌のロゴが変わっていた――。

 

 


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