淳弥side ♯6


 

問いただすと、麻衣香は突如逆上した。

 

「じゅ、淳くんが悪いんじゃない。浮気なんてしてるから。あんな、あんなつまんない子何処がいいの?」

「誓っていうけど、俺は浮気なんてしてないよ。彼女の愚痴と相談に付き合ってただけだ」

 

愚痴と相談。そう言うと、麻衣香の目が急に剣呑としたものになる。地雷を踏んだらしいということに、淳弥が気づいた時は遅かった。

 

「愚痴と相談? 私だって、淳くんに聞いてもらいたい話、いっぱいあるよ。毎日毎日結衣とふたりっきりで、気晴らしにお散歩や公園に出かけても、子どもの話ばっかりで。子どもの成長具合とか、使ってるおむつのメーカーとか。そんなどうでもいい話に耳傾けて、愛想良くして!

淳くんだって、帰ってきても結衣、結衣って。私自身のことなんて、誰も気にかけてくれない…。なのに、淳くんは他の女の子の話、聞いてたって言うの!? ねえ、私の悩みより、そっちのが大事なの? 浮気じゃない浮気じゃない、って淳くんは開き直るけどね、身体さえ重ねなければ、外で男は何してもいいの? 私に言わせれば、淳くんは充分妻を裏切ってるよ」

 

凄まじい剣幕で詰め寄られ、淳弥は我知らずに後ずさる。

 

 

麻衣香のこんな姿を見るのは初めてだ。感情を爆発させた怒りは、恐ろしさより哀れに見えて、麻衣香の震える肩を淳弥は抱きしめた。

 

 

「…ごめん、麻衣。もう彼女とは飲まないし、毎日早く帰るようにする…。約束するから」

 

 

佳苗の方には、夫婦揃って頭を下げに行った。お詫びだと麻衣香が差し出した現金は、淳弥があずかり知らないものだった。恐らく麻衣香の両親が出したのだろう。示談金ということで。

 

佳苗の方が、恐縮して受け取らなかった。アカウントを消してくれれば、警察に訴えたりもしない。そう約して佳苗は淳弥と麻衣香を引き取らせた。

 

 

「森崎、良かったの?」

 

淳弥の方が佳苗に申し訳ない。せめてランチでも奢ろうとしたら、それすら断られた。

 

「…私は私で、きっと奥様に嫌な思いさせてたんで、おあいこです」

「そんなことは…」

「峰さん…」

「ん?」

何気なく名を呼ばれて見上げたら、佳苗の思いつめた視線とかち合った。

 

「峰さんは…誰にでも優しいから、奥様もきっと不安になっちゃうんですよ」

佳苗は泣きそうな顔で、淳弥にそう言う。巻き込んで、嫌な思いをさせて、佳苗には本当に悪かったと思ってる。けれど…佳苗自身にも、麻衣香と張り合う気持ちはあったのかもしれない。

 

「…優しく、ね」

妻に対して、いちばん優しくなれない。どうしてだろう。近すぎるからだろうか…。

あれ以来。麻衣香は更に肩肘を張っている。まるでいい妻でなければ、淳弥に愛されないと暗示でも掛けられてるみたいに。家は今までにも増して、ピカピカに磨かれてる。今朝も、淳弥が時間が無くて、シリアルを袋からスプーンですくっただけで怒られた。

 

(…違うんだよなあ)

淳弥が求めてるのは完璧な妻なんかではないのに。

家事なんて適当でいい。仕事だってしてなくていい。ただ、帰ってきてほっと安らぐ空間をつくってくれさえすれば。

 

お互いに偶像と現実の乖離に、息が詰まるばかりの生活。修正しなければ…と思っても、何処をどう直せばいいのか、取っ掛かりも掴めない。

 

 

バーでの一連の騒動のあと。森崎佳苗は退職した。

 

 

 

 

「お前のせいじゃないよ。前々からやめるやめる言ってたのを、俺も何度も引き止めたからさ」

と伊藤は淳弥をかばって、励ますように肩を叩かれた。

 

その後、社内で東京支社への転勤の募集があり、淳弥は迷わず応募した。仕事への意欲というより、麻衣香から逃げ出したかったに他ならない。

 

「東京? 何、それ私、聞いてない」

正式な辞令が出てから、麻衣香に告げると、案の定麻衣香は声を荒げた。近頃、喃語が人の言葉になりつつある結衣が「ま…」と言ったまま、怯えたように固まった。

結衣を安心させるように膝の上に、淳弥は抱き上げる。

「再来月には、私、仕事復帰する予定なのよ?」

「わかってる。君の仕事の邪魔をするつもりはないよ。単身赴任者や独身の人のために会社が借り上げてるアパートがいくつかあるから、そこに住むつもりだ」

「そんな…」

「――その方がいいだろ?」

 

珍しく、強引に淳弥は話を結論づける。俺にとっても、君にとっても、離れた方がいい。

 

 

『別れよう』

 

そんな言葉も胸には渦巻いていたが、結局膝の上の我が子の重みを考えたら切り出せなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

~★~☆~★~☆~

 

 

「峰」

伊藤に名を呼ばれて、淳弥ははっと我に返った。森崎佳苗の名が出たことで、随分長いこと黙りこんでしまっていたらしい。

「あ、ああ…すみません」

額を掻いて、それからもう一度先ほど伊藤が放った台詞を咀嚼した。

 

 

佳苗の結婚。

 

 

「…あの子なら、きっといい奥さんになるでしょうね」

「だろうな」

そう、良かった。本当に良かった。心からそう思う。

「お前のとこにも来なかったか? ハガキ」

「…あー」

淳弥は佳苗に東京の住所は知らせていない。これまでの経緯から、麻衣香の気持ちを必要以上に刺激することを恐れて、佳苗が遠慮したか、麻衣香が握りつぶしたかどちらかだろう。

一度、怒りに火をつけてしまったら、麻衣香は何をするかわからない。

自らを納得させるように、淳弥は言う。

「俺のとこには来なかったっすね。けど、いいです」

 

幸せになったのならそれで。

 紛れも無い本心だった。

 


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