淳弥side ♯8


 

家族と距離を時間を隔てる日々は、淳弥の心を一層他の対象に傾けていく。夕希と毎日ラインでやりとりするメッセージが、麻衣香からの近況を知らせる電話よりも嬉しい。

膨らみつつある感情を、けれど淳弥は必死に抑え込んでいた。

 

 

けれど、その堰き止めていた思いが、奔流となって溢れだす出来事が起きた。

 

その夜は、淳弥は飲んで遅く帰っていた。閉店ぎりぎりに夕希の働く店に飛び込み、お茶漬けの元と二日酔いに効くという栄養ドリンクを買って帰り、シャワーを浴びて出たところだった。

夕希からのSOSが届いた。

 

――後ろから誰かついてくる。怖い。

 

既に深夜1時を回っている。この時間に出歩いている人の方が稀なのだから、夕希の訴えた内容は、恐らく勘違いではないだろう。

出かける支度をしながら、淳弥は急いで夕希にコールする。峰からだと知って、途端に緊張の緩んだ夕希の声に、胸が熱くなった。

 

(こんな俺を信頼してくれてる、頼ってくれてる…)

まだ出会って間もないのに、夕希の方も自分と同じような感情を持ってくれてるのかもしれない。

とにかく急を要するので、夕希が今歩いているという坂の辺りを目指し、一目散に走り出した。

 

 

夕希の姿を見つけるが早いが、「おいで」促し、夕希の身体を抱きとめた。彼女の身体は小刻みに震えてる。夕希の背後5メートルくらいにいたフードを被った男を、反射的に淳弥は追いかけて、フードをがっちり掴んだ。

力任せに引っ張ると、おたおたと逃げようとしていた男は、「うわぁ…っ」と小さく悲鳴をあげて、その場に尻もちをついた。

胸ぐらを掴んで、フードのついたトレーナーごと顔を引き寄せる。まだ若い。ぼさぼさの前髪が眉ばかりか目も半分くらい覆った、気弱そうな青年だった。

 

 

「彼女に何の用だ」

目一杯低音ボイスで脅すと。

「ごめんなさいごめんなさいっ」

彼は両手を地面について、謝ってくる。謝るくらいなら、後をつけるなんて真似はしなければいいのに。

「今度彼女に近づいたら、ただじゃ置かないから」

まるで自分のものみたいな宣言をすると、青年は何度も頷きながら、帰っていく。

(やっぱり一発くらいは殴ってやればよかったかな…)

収まりきらない憤りを抱えたまんま振り返ると、夕希は心細そうに淳弥を見つめてた。潤んだ瞳に淳弥の姿が大写しになっている。

 

 

「…峰さん…大丈夫ですか…」

怖くてたまらなかったのは自分だろうに、夕希は淳弥のことを真っ先に気遣ってる。

「ありがとうございます」

「怖かったろ」

「い、いえ、平気…」

彼女の綺麗な瞳から、ぽたりとこぼれた涙を見たら、もう淳弥の頭の中は目の前の現実しか考えられなくなっていた。

「ご、ごめんなさ…い」

「…大丈夫だよ、いとちゃん」

彼女の背中に手を当てて、引き寄せるように抱きしめた。

 

 

こんなのダメだってわかってる。わかってるけれど。

頭で考えてることと、淳弥の感情がどんどん離れていってしまう。

 

 

どうすればいいのか。どうしろって言うのか。結婚してるという事実だけで、全ての感情は抑えこまなければいけないのだろうか。

(好きになってしまったものは、しょうがないじゃないか)

 

 

 

「あーもう、俺、我慢するつもりだったのに。いとちゃん、ごめん。好きになっちゃった…」

 


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