♯7


峰淳弥が刺された事件を琢朗はニュースで知った。彼が知人女性を庇って、ストーカーに刺されたと。知人女性の名は報道されなかったけれど、法科院の学生という肩書で、夕希だって言うのは、すぐにわかった。

琢朗にとっては狐につままれたみたいな、不可思議な事件だった。

(糸井さんを庇った? あの男が?)

あの朝、あんなに冷たい視線を言葉を、夕希に投げかけていた人物と同一人物の行動とは思えない。

無論、報道される内容が100%真実というわけでもない。糸井夕希を庇ったわけでもなんでもなく、単なる偶然の可能性もある。だが…よりによって、このタイミングで?

確か、今日は手術の日だったはずだ。



謎を謎のまま放置しておくのは、琢朗は大嫌いだ。こういうのは本人尋問に限る。腫れ物に触れる優しさは、琢朗は持ち合わせていない。

ニュースが別の話題に移った瞬間に、琢朗は夕希に電話を掛けた。



「糸井さん、今何処?」

尋ねると、夕希は近くの救急病院の名を告げる。わかった、と言うが早いが、琢朗はタクシーでそこに駆けつける。

ニュースにもなったせいかマスコミ関係者らしい人が、病院のロビーにも、淳弥の病室の外の廊下にも屯していた。

その中に夕希の姿を見つけ、琢朗は彼女を連れて、病院の中庭に出る。


「ケガは?」

「私は平気」

ホッとして、琢朗はニュースで聞いたあらましを伝える。夕希はそれを注意深く聞いていた。

「知人女性」

まるで他人事みたいに聞こえるね、と夕希は笑う。彼女自身の口から、もっと詳しい経過を聞いた。


牟田という男に付きまとわれたのは、二回目で、その時も淳弥が守ってくれたこと。

淳弥は偶然居合わせたのではなく、自分のバイトが上がるのを待っていたということ。

そして、淳弥が刺される前から淳弥自身の手で通報はされていたということ。


「だから、警察もすぐ来てくれて…淳さんが助かったのは、そのせいだ、って」

「自分で通報?」

まるで、知ってたみたいだ。夕希が襲われるのを。



「…そうだ、糸井さん病院は?」

琢朗が言うと、夕希は思い出したくないことを思い出させられた、といった不満気な顔を見せた。


「きょ、今日はいい。やっぱり、やめる」

「やめるって…」

「だって、無理だもん」

確かに混乱もしてるし、精神的にも辛いかもしれない。夕希を慮って、琢朗はその日は何も言わずに引き下がった。

けれど、次の日も次の日も、夕希は淳弥の病院に入り浸り、一向に手術を受けようともしなければ、琢朗の家にも来なかった。何より琢朗からの連絡に出てくれない。


今も、送ったLINEが未読のまま放置されているのを確かめて、琢朗はチッと舌打ちして、スマホをしまう。



あれから3日。ニュースは死亡者の出なかった、犯人のわかりきった傷害事件など忘れたかのように、別のニュースを流し始める。夕希のところにレポーターが来ることもなくなった。


けれど、報道は終わっても当事者達の生活が終わったわけではない。クローズアップされるのなんて、ほんの一瞬で、あとは人知れず密やかに淡々とつながっていく日常がある。

けれど、夕希自身がまだその日常に戻って来ない。学校も欠席したまんまだ。



控えめな性格で努力家だけれど、泣き虫で頑固。夕希は芙美とは違う意味で、気が強い。以前に「軽蔑させないでよ」とは。琢朗が夕希に放った言葉だが、もうとっくに軽蔑してる。騙されて既婚者と関係を持ち、妊娠までは琢朗も同情も許容も出来る範囲だが、その後の行動はまったくもって、いただけない。

大学に着いたが、講義の始まる5分前になっても、夕希は姿を見せない。恐らくまた病院にいるのだろう。自分だって大事な時だってのは、わかってる。講義をほっぽらかす余裕なんて無い。呆れ返っているのだが、それでも。

(放っておけないんだよな…)


琢朗は再び病院に足を向けた。



「糸井さん」


淳弥の部屋を出た廊下で待ち構えていた琢朗は、夕希が出てきたと同時に声を掛ける。

大げさに肩を震わせて驚く夕希の様に、琢朗までつられてビクッとなってしまった。



「上條くん…」

「連絡来ないから、俺が来ちゃった」

「ご、ごめん、忙しくて」

「嘘ばっかり。糸井さん――俺を避けてたでしょ」


どうして夕希が自分を避けるのか、その理由も十分に理解した上で言うと、夕希の視線が泳いだ。


ちょうど面会時間は終わる刻限で、琢朗と夕希は病院を出、駅までの道のりをふらっと歩き始める。空調の効いてない外気の温度は、生ぬるく、月がうす気味悪い程大きかった。


「…峰さんに何か言われた?」

「ううん」

「じゃあ、峰さんに伝えた? 子どもがいること」

それも夕希の答えはNOだった。

「上條くん、私やっぱり無理」

「無理って何が」

「…あかちゃん、諦められない…」

はらりと夕希の頬を涙が伝う。この間から、もう何回見てるだろう、彼女の涙。しかも原因は琢朗じゃない。自分だったら泣かせない、と思うのに、現状は涙を拭う役目すら貰えない。理不尽すぎる恋を、どうして捨てられないのだろう。自分も――夕希も。


「糸井さん」

急に立ち止まった琢朗を夕希は不審そうに振り返る。その刹那、二の腕を掴んで自分の身体もろとも、夕希を路地の壁に押し付けた。

「かみじょ…」

「子どもなんて出来たら、糸井さんの人生、めちゃくちゃになるよ? やめろよ、あんな奴に縛られるの」

感情に流されるのはゴメンだ。常々そう思っていたのに、今、琢朗の脳の過半数を占めているのは、醜い嫉妬心だ。


怯えた瞳で琢朗を見つめる夕希の二の腕両腕でがっちりホールドして、その瞳を覗きこむように顔を近づけた。見開かれたままの夕希の眼球に映る自分の姿がどんどん大きくなる。己の姿から目をそむけるように目蓋を伏せて、唇を重ねた。


「――糸井さんが、好きだよ」


自分でもわかってる。最低最悪のタイミングでの告白だ。





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