琢朗side ♯12



「な、に言ってるの…? そんなの…」

呆れ返った夕希の言動は良識的で、琢朗の申し出は非常識だ。そんなことはわかってる。

「うん、プロポーズみたいだね」

「…し、信じらんないっ」

「そう?」

だけど、必要なんじゃないの? 生まれて来る命を守るためには、抱きしめるもうひとつの腕。別にそれが自分以外の人間でもいい。けど――。


「妻とは別れるつもりだから」

あのおっさん、言い切ったくせに。あれから何やってんだよ。

結局峰淳弥は最後まで、嘘つきな信用出来ない人間だったってことだ。それなら、琢朗が遠慮する必要は何処にもない。


掴んでた手を離して、夕希の背中に腕を回して抱きしめた。力はあんまり入れないで、夕希がいつでも逃げられるくらいの力で。

でも、夕希は素直に琢朗の肩に顔を埋めた。


「俺の親父さ、もう長くないんだ。母さんはとっくにいないし、芙美さんは家族じゃない」

「…上條くんは、ひとりでも平気だと思ってた…」

「…うん。ひとりでも平気。でも、糸井さんといたら、もっと強くなれると思うんだ」


傍に、いて欲しい。

琢朗のいちばん強く願うことを告げると、夕希は返事に窮したのか、より一層琢朗の肩先に顔を埋める。

「…糸井さん、こっち向いてよ」

「…だって、上條くんにそんなこと言われても、どういう顔していいかわかんないもん」

ライバルで友達で。よく知ってるからこそ、この状況は照れくさい。

「…キスしていい?」

「……」

やっぱり夕希からの返事はない。夕希の肩に手を置いて、自分から一旦引き剥がすと、琢朗はそのまま紅い唇にそっと触れる。


目を開けたまんま、夕希は琢朗のキスを受け入れて、離れてからはっと我に返ったように言う。

「…同意した覚え、ないんだけど」

「ダメとも言わなかったじゃん」

「そうだけど…っ」

「もう、試験終わるまでしない。だから――考えておいてよ」


微かだが、今度は確かに夕希は頷いた。


いつの間にか真上にあった太陽は、ぐっとその高度を下げ、空を海を茜色に染め始めている。海岸線に沿って作られた遊歩道を、今度は富士に背を向けて、肩が触れるか触れないかの距離で、ふたりで並んで歩く。


夕希の家の脇に白い車が停められてるのを見つけ、ほぼふたり同時に足を止めた。琢朗の脳裏にまざまざと蘇るのは、広島にあの車を追っかけて行った夜だ。きっと、夕希も同じだろう。


「…行こう」

足が竦んで動かない夕希の手を取って、琢朗は再び歩を進める。

(…ちくしょ、どっちだよ)

琢朗はちっと、舌打ちする。さっきまでのほんのりと染まった夕焼けみたいな幸せな気持は、一瞬で吹っ飛んでた。。

淳弥か妻か。どっちにしたって、また夕希を振り回すつもりかよ。


「戻りました」

そう言って、夕希の家の古い引き戸の扉を開ける。

「待たせていただいてます。――夕希さんに話があって」

さっき琢朗が座していた席に座り、妖艶なほほ笑みを向けたのは、峰淳弥の妻の麻衣香だった…。





                                              ( 琢朗side 完 )




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