琢朗side ♯8


 

直接的な言葉は敢えて避けてたにせよ、折に触れ、機会にかこつけ、にじませていた琢朗の好意を、知らなかったとは言わせない。

夕希は抵抗しないで、琢朗の唇を受け止める。

 

ゆっくりと拘束を解く。夕希は深く俯いたまま、琢朗の顔を見ようとはしない。

「…ごめん…乱暴なことして。でも。糸井さん、今、めちゃくちゃ視野狭くなってる。他に道はいくらでもあるってこと、思い出して欲しくて」

俺を見て、とは言わない。けれど、少なくとも顔を上げて欲しい。下を向いて、自分の腹の中ばっかり気にするんじゃなくて、もっと広がる可能性に目を向けて。

「…淳さんが、庇ってくれた時、私、嬉しかったの。ダメってわかってるのに。この人は、他の人のものだってわかってるのに、嬉しかった…。他の言葉が全部嘘でも、きっと私を抱いた夜と、あの一瞬だけは、淳さんは私のこと、いちばんに思っててくれたと信じられるの。だから…ごめん」

他の道は選べない。

静かだが、深い覚悟を窺わせる口調で、夕希はさらりと迷いなく、琢朗の告白を退ける。

たった3日で、夕希は驚く程強くなった。何なんだろ、愛されてる者の自信?

 

「女の理屈だね」

「上條くんにわかってもらおうとは思ってない」

「糸井さんが、こんなばかな女だって思わなかった…」

ああ、もう最低。思うようにならなかったからって、腹いせ紛れにこんなこと言うなんて。

わかっていても、止まらなかった。

「…ごめんね、期待外れで。でも、上條くんがいろいろしてくれたこと、すごく助かった」

「……」

欲しいのは、謝罪の言葉でも感謝の言葉でもない。

「送るよ」

と琢朗が言うのを、夕希は固辞する。今日もこの後、バイトがあるらしい。呆れる程に働き者だ。

 

 

「ちっくしょ…」

ちょっとでも迷うなら、いくらでも付け入る隙はあるのに。キスしても全くゆらぎもしないんじゃ、勝ち目は到底無い。

 

あーあ。もう完璧に振られたな。「待って」なんて追っかける気にもなれないくらい、こっぴどく。

 

だけど、琢朗にはまだやることがある。きっと夕希にはまた余計なことを…と詰られるだろうけれど、もうそんなの関係ない。

 

次の日、琢朗は再び、淳弥の入院する病院を訪れた。

 

 

「どーも」

昨日は踏み込まなかった病室に足を踏み入れる。父の病室より消毒の匂い。突如現れた琢朗に峰淳弥は明らかに不審げな一瞥をくれた。まあいい。歓迎されないのは、最初から承知の上だ。

「刺されたんだってね」

「ああ…」

「けど良かったですね。命に別状なくて。あ、飲みます?」

無造作に下の自販機で買ったコーヒーを差し出すと。

「いや、今はいい」

淳弥に拒否されてしまった。

 

「じゃあ、あとで飲んでください」

小さな冷蔵庫にしまうと、琢朗は自分用のプルタブを引き抜いて、口をつける。あ、やばい。微糖は失敗だった。もっと甘い方がいい。口の中に広がる苦味と酸味に閉口してると、淳弥が言いにくそうに聞いてきた。

 

「…夕希ちゃんと付き合ってるの?」

琢朗にしてみたら、失笑ものの的外れさだ。何言ってやがる、このオトコ。

「なわけないでしょ。彼女、今たいへんな時なのに」

「司法試験前だもんな」

「…そうじゃねえよ」

「どういう意味だ」

気色ばんで淳弥は更に鋭く琢朗を問い詰める。

夕希がそれを望んでないことは知ってる。だからこれは、夕希のためじゃなく、琢朗の自己満足だ。

「糸井サンには絶対言うな、って言われてんだけど」

「…だから何をだ」

「フェアじゃないと思うから、言っとくわ。言ったからって、あんたに何が出来るとは思わねえけど――糸井さん、妊娠してるんだよ」

 

彼女の身体に起きた異変を、想像もしていなかったのだろう。淳弥はすぐには声も出せないくらい動揺していた。知ったことか、とばかりに琢朗は畳み掛ける。

 

「あんたの言うことなら、糸井さん聞くだろ? 糸井さんに言ってよ。――堕ろせ、って。おもいっきり絶望させて、誰があんな男の子どもなんて生むもんか、って思うくらい憎まれてみせろよ。俺が言っても、全く効果ないから」

「…そう、か…」

呆然と淳弥は呟く。「本当に俺の子か?」なんて疑義を差し挟むほどには、腐ってはいないらしい。それなりに身に覚えもあるってことか。それはそれで、ムカつく。

 

「生むな、って言って、同意書書いて、手切れ金代わりに、中絶費用渡してやりなよ。それくらいは、あんたの義務だろ?」

「ああ…」

と軽く頷きかけて、淳弥は慌てて首を左右に振る。

「…いや、待ってよ。そんなことは出来ないよ」

「あんた、この期に及んでまだそんなこと言ってるのかよ」

けが人でなければ、胸ぐらくらいは掴んでやりたいところだ。暴力的な衝動を、琢朗は必死にこらえた。

「そんなに奥さん怖いのかよ」

「違う、そうじゃなくて…。妻とは別れるつもりだから」

「は?」

それこそ俄には信じがたい話だった。

 

けれど、淳弥は必死に琢朗に「このままにはしない。必ず、夕希ちゃんと話をする」と約してくれた。

 

(何なんだよ…)

釈然としない思いで、琢朗は淳弥の病室を辞した。もう二度と来ないだろう。こんな胸糞悪いところ。

結局両思いってことなのか。不倫の末の純愛なんて、琢朗は認めない、認めたくない。

けれど…。

 

(良かったな、糸井さん)

頑迷で愚かしい友人の恋が叶いそうなことには、素直に祝福をしたい。悔しいから、自分から峰淳弥の気持を暴露したりはしないが。

 

 

これでうまく行く…と安心していたのに。

 

夕希は次の日から法科院に顔を見せなくなり、連絡もぷつりと途絶えた。

 

 


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