♯7


「無理ですっ」 

もちろん断った。だってまだアルバイトだって、シャンプーやカラーのヘルプしかさせてもらえないし、美容学校だって、マネキン相手のカットしかしてない。上級生になると、お友達同士でカットし合ったりして、腕磨くみたいだけど、磨ける程の腕なんてない。 

私が無理って言ってるのに、美咲さんは酒井ににこやかに話を振った。 

「どう? ええっと…」

「あ、酒井です。酒井航。木塚とは高校の時のクラスメートです。木塚がお世話になってます」 

ちょっとそこっ! 彼氏然とした挨拶やめて。 

「酒井くんね。七海ちゃんの夢に協力してあげない?」

「だって美咲さん、とっくに終わってるじゃないですか、時間」

「あら、だってこれは営業とは違うもの。お金も取らないし」

「カットの練習台ってことっすよね? いいっすよ」

…断れよ。 

結局、美咲さんの押しの強さと、酒井のノリの良さに流されて、私がカットすることになってしまった。良かった、今日、昌也さんお休みで。 

カット用の大きな椅子に、酒井は好奇心たっぷりにあちこち見回しながら座る。あんまり意味がなさそうだけど、酒井の短い髪を櫛で梳いた。

  

「スタイル変えなくていいの?」

「うん」

「先にシャンプーしていい?」

「いいよ」

「…ホントにいいの? どんななっちゃっても知らないよ?」

「へーきへーき。俺、そんなこだわり無いから」 

…ある意味失礼な発言を、酒井はそれと気付かずに笑顔でのたまう。…じゃあ、いい。後悔しても知らないんだから。あんたなんか、練習台にしてやる。

 

一旦、シャンプー台に移ってもらって、酒井の身体に撥水性の高いケープをつける。うちのお店のは白地に店名のロゴのシンプルなデザインだから、「俺、てるてる坊主になったみてえ」と、酒井ははしゃいでる。高校の時からのおばかキャラ健在だった。

「後ろに倒すね。角度きつかったら言ってくれる?」

「ああ」 

椅子の座面を前に押し出して、頭の位置を低くして、項から上が洗面台に乗っかるようにセッティングする。 

互い違いに上下からお互いの顔を覗く構図。酒井の目も鼻も顎も耳も、近くにあってドキンとなった。

  

もう、何回も何人ものシャンプーなんかしてきて、手際だって頭に入ってる。男の人だからって、特別意識したことなかったのに、酒井の髪に触れようとすると、心臓がばくばく動き始めた。 

…緊張してる? 意識してる?

 

「タオル、掛けていい?」 

白いタオルを手に取った時だった。 

「やべ、俺今思い出したけど、今日授業でサッカーとかやってっから、髪汗でべとべとかも」 

酒井が突如そんなことを言い出すから、思わず吹き出しちゃった。緊張しまくってた心が解れて、楽になる。

 

「そんなこと気にしないよ」

「しないの?」

「しない。いろんなお客さんいるから、いちいち気にしてたらキリないから。髪、濡らすね。お湯かげん、熱かったり温かったら言って」

「俺、そういうの遠慮しない人」

「…うん、わかる」 

酒井の髪をシャワーですすいで、地肌を揉むように優しくシャンプーを泡立て、満遍なく洗う。 

「あー、なんかいいかも、気持ちい~」 

酒井はゴキゲンだった。私、まだそんなにうまくないのに。 

もうお客さんはみんな帰っちゃって、美咲さんも「鍵、自宅の方に返しにきてね」と、私に鍵を預けて帰ってしまって、酒井とふたりきりになる。

ハサミを入れる段になると、またちょっと緊張した。

「き、切るね」

「木塚、緊張してる?」

鏡に映った酒井が私をからかうように、にやりとした。

「してないよっ、誰があんたの髪切るくらいで、緊張なんか」

右手の親指に力を入れて、刃を重ねると、挟まってた酒井の黒い髪が、床にはらりと落ちた。あ、やばい、短く切りすぎたかも…。

 

 

悪戦苦闘すること30分。

 

 

「おー、なんか甲子園終わったあとの高校球児みてえ」

鏡を見た酒井が、そう感想を漏らすくらい、酒井の髪が短くなってた。ホント、坊主頭だった子が伸ばし始めたような短さと不揃いさ。

「ご、ごめんっ。切りすぎちゃった」

「うん、かなりスッキリ?」

「ごめん、ホントにごめんなさいっ。美咲さん呼んできて、整えてもらう」

「いーよ、木塚。髪なんてすぐ伸びるんだし。俺、遠藤ちゃんみたいなイケメン枠じゃないからさ、あんまり見た目気にしないし」

「あんた、いい奴過ぎる」

自分の未熟さと情けなさ、それに酒井の懐の広さに、また瞳に水泡が浮かぶ。

「泣くなって。木塚って案外泣き虫? ほら、よく言うだろ? 失敗は成功の母だ、って」

「泣いてないし、泣き虫じゃないよっ」

 

俯いたまんま、何度も目を瞬かせた。泣いてないって言ったのに、涙を拭う仕種をするのは、嫌だ。だから、せめて。瞳から溢れ落ちないように…そんな私の悪あがきを笑うみたいに、酒井は私の頭に手を添えて、自分の胸元に引き寄せた。