未来不測#2


 

夢を見て、それを叶えることが出来たのは、いったいどのくらいの割合の人なんだろう。

夢はいつか叶う、なんて歌の文句にはよくあるけれど、現実を知れば知る程、夢は遠くって、届かなくって、そしていつしか皆、夢を見ることすらやめてしまう。

 

 

けど、きょうちゃんは公募に何回落ちても、諦めずに頑張ってきた。そんなきょうちゃんだから、傍にいたいと、私は願った。

 

書籍化は小説を書いたことのある人なら、誰もが一度は見る夢だ。それが今、叶おうとしてる…?

 

 

「凄いじゃん、きょうちゃん。すごいっ。こういうメールって本当に来るんだね」

自分のことみたいに嬉しくって、テンション上がる、声なんてもう、隣の家に聞こえるんじゃないかっていうくらい、大きくなった。

「うん。なんか俺もう、びっくりしちゃって…」

「だよねえ。でも、見てる人はちゃんと見ててくれるんだよ!」

手に手を取って、喜び合う。

やーもう、嬉しい。これまでのもやもやした気持ちが吹っ飛んで、行くみたい。

 

「何処の出版社? 見せて見せて」

そう言って、私は一旦きょうちゃんから離れて、モニター画面を食い入るように見つめた。

 

タイトル:書籍化検討のお知らせ

送り主:文学新報出版

出版社の名前に憶えが、ない。web小説を出版してる主だった会社やレーベルだったら、全部頭の中にインプットされてるのに。首を傾げながら私は、続きを目で追う。

けれど、読み進めていけば行く程、ふわふわと舞い上がった気持ちは、地に沈んでいく。

書籍化検討という名目ではあるけれど、実際のところ、これは…共同出版を持ち掛けたもの。

共同出版と言えば、聞こえはいいけれど、実際は費用は作者側で、その代わり、書店に並べる費用やノウハウはこちらが持ちます。それでも、費用は掛かっても、書店に自作の本が並べばまだいい方で、ひどいところになると、刷るだけ刷って、段ボールに入れたまんま、なんてトコもあるみたい。

これも、メールのタイトルは検討になっているし、中味もさも、きょうちゃんの作品を熱心に読み込んでるように見えるけど、よくよく読むと、僅かな自己資金で…とか、このまま埋もれては、あまりにもったいないので、急遽こういった形での出版を…なんて、書いてある。

 

まともな出版社で、きちんとした書籍化の話だったら、まずこういう誘い方はしないはず。

 

「…きょうちゃん、このメールにレスした?」

スマホをテーブルの上に置いて、私はきょうちゃんを振り返った。

打って変わった低い鋭い声に、自分でも驚いた。でも…これは、ダメだ。こんなのに乗ったら、きょうちゃん大変なことになる。

「う、ううん。してないよ。とーこちゃんに聞いてから…と思って」

私の変貌ぶりに、驚いたように、きょうちゃんはあわあわしながら答えてくれた。

 

「こういうのって、返事どうすればいいのかな」

きょうちゃんが首を傾げる。

あーもう許せない。人の夢を食い物にして、儲けようとしてるやつら。

きょうちゃんは純粋で世間知らずだ。29才の男に人にしては、頼りないし、幼い。

だから、簡単に騙されそう。

「こんな話、乗らない方がいい」そう言ってあげればいいんだろうけど、キラキラしてるきょうちゃんの目を見たら、唇がどんどん固くなって動かなくなっていく。

 

「…しゅ、出版社の人に知り合いいるから、聞いてみるね」

まだ返事しないでね。そう、時間稼ぎをするのが精いっぱいだった。

 

 

 

出版社の知り合い、と言っても。

栞は、今日から新婚旅行でオーストラリアだ。グレートバリアリーフ、私も一度は見てみたい。

澄み切ったコバルトブルーの海みたいに、爽やかな旅に出る人の邪魔は出来ない。

だとすると…。

 

 

「びっくりした。まさか、連絡もらえるとは思わなかった」

素で驚いた声が、電話口から私の耳朶を打つ。

この人でも驚くことあるんだ。たかが、女性からの電話一本で。先日の思い出したくない夜の記憶が、嫌でもまざまざと蘇った。

 

あの夜、吉井さんと連絡先は交換しなかった。だから今、私は勤め先の本屋の営業の人の取引先リストから、彼の職場に直接電話してる。

 

つまり『私用』じゃないことくらい、わかりそうなもんなのに。

「ランチのお誘い? だったら、今週は木曜と金曜のどっちかなら…」

「…違います」

「違うの?」

私がそんな用事で掛けてきたんじゃないことくらい、絶対吉井さんは察してるくせに。

 

「ちょっとおたずねしたいことがあったんです」

店の事務所から掛けてる私は、奥に座ってる店長の目も気にしながら、飽くまで丁寧な言い方で、吉井さんに対する。

「? 何だろう」

「えっと吉井さん、文学新報出版さんって、ご存知ですか?」

あの日、きょうちゃんちから帰ったあと。自分でもネットなんかで調べてはみた。うちの店で取り扱いがあるのかどうかなんかも。

けれど出版物の半数くらいが、自伝的なものが多くて、販路もなんだかあやふや。少なくと、うちの店ではこの出版社の取り扱いはなかった。

 

「あー、そこ知ってる。自費で有名なとこじゃん」

 

もしかしてもしかしたら…。微かに残っていた期待を、吉井さんはさっくりと砕いてくれた。ちょっとの衝撃で粉々になるクッキーみたいに、もしかしたら…って可能性は、ぼろぼろと崩れて、形を成さなくなった。

 

「そういうところから、声がかかる程度には、橘さんの彼氏ってちゃんと書いてるんだね」

「…どういう、意味ですか?」

「いやだってさ。処女作完結もさせてないような奴に、声掛けたって、詐欺だってバレバレじゃん。ある程度、年数書いてて、だけど報われてない…そういう人程、自分の本が書店に並ぶのなら…って、お金出しがちだからね」

 

『報われてない』

吉井さんの冷静な分析が、胸に刺さった。

 

「あのさ」

「何ですか?」

「橘さんの彼氏の小説、何処で読める? ハンネか作品名教えてよ」

「え~」

私は思い切り嫌そうな声を出す。事務所にいた店長がぎょっとなったように、私を見た。まずいまずい。店長は取引先と話してると思ってるんだろうから、「え~」はまずい。

 

「…聞いて、どうするんですか?」

「いやちょっとした好奇心」

「そういう人にあんまり教えたくないんですけど」

「けど、俺、○×レーベルの担当に知り合いいるよ? 大学の先輩だけど」

良かったら、紹介しようかなあ…。

そんな風に言われると、無碍に出来ない。ちっくしょ~。足元見やがって。どいつもこいつも。

 

「感想とか、ダイレクトにきょうちゃんのとこに書き込んだりしないでくださいね。打たれ弱いから」

「そんなんで、プロ目指してんの?」

「う。と、とにかく連絡は私の方にお願いします」

「わかったわかった」

 

私をあしらって、吉井さんは電話を切ってしまう。

ふうと、溜息をついて、私も受話器をがちゃりと置いた。

 

…きょうちゃんに、どう言ったらいいんだろう。