現状維持のジレンマ #2


 

きょうちゃんと眠れぬ一夜を過ごし、始発で家に帰った私は、こっそりと勝手口から中に入る。もう社会人なんだし、彼氏の家で一夜を過ごすくらい、別にいいじゃん、と思うんだけど。

うちの両親(特に母親)は、きょうちゃんのこと、良く思ってない。

忍び足で2階に上がると、私の部屋のパソコンデスクの上に、私宛の封書が来てた。

淡い桜色の封筒にゴールドの縁。達筆な毛筆の宛名に、見慣れない切手。社会人生活も5年目になれば、開けなくても中身はわかる。

 

(ああ、やっぱり…)

封を切ってみると、結婚式の招待状だった。

送り主は、大学の時の友人の野村栞。同じ国分学専攻だったのに、彼女は大手出版社に勤め、同期の彼氏と結婚かあ…。

 

友人のおめでたい話題なのに、溜息と自嘲交じりにその知らせを受け取ってる自分が嫌だ。幸せの形は人によって違うし、愛情だって、比べる物差しはないのに。

 

シャワーを浴びて、着替えて、台所に行くと、お母さんはもう起きて、朝ごはんの支度をしていた。

 

「あら、あんた、いつ帰ってきたの?」

「…しゅ、終電で」

 

午前様も朝帰りも大差ないとわかっていながら、つい偽ってしまう。

 

「お母さん、昨日深夜番組見てたのに…最近の終電は、朝まで走ってるのねえ」

 

…完全にばれてる。

 

嫁入り前ではあるけれど、社会人の娘。彼氏とお泊りになったからって、流石にお母さんも表立って、反対はしなくなった。けど、小説家志望のフリーター。きょうちゃん自身に問題はなくても、きょうちゃんの現状には大いに問題あるという認識らしく、ちくちくと針で皮膚を刺すみたいな、嫌味を言われる。

 

「そういえば、あんたの机の上に封筒おいておいたけど、気づいた?」

 

…ほら、来た。

 

「う、うん」

「あの封書の感じだと栞ちゃん、結婚するのね」

 

豆腐の入った出汁の中にお味噌を溶きながら、お母さんが聞いてくる。

 

栞は何回かうちにも遊びに来たことがあるから、お母さんもよく知ってる。自分の娘の友人が結婚。

 

「お友達が結婚しても、おかしくない年なのよねえ、あなたも」

「…え、でもまだ27だし」

「そんなこと言って、30過ぎたらあっという間よ? 恭輔くんは悪い子じゃないけれど…生活の基盤がねえ」

「…別に、きょうちゃんと結婚するなんて言ってないじゃん」

「あら、あなたほかにお付き合いしてる人いるの?」

 

お玉を持ったまま、お母さんはこっちを振り返る。…露骨に嬉しそうにしないでよ。

 

あー、なんか胃が重たくなってきた。

 

「…いないけど。お母さん、私、朝ごはんいらない」

「ダメよお、ちゃんと食べなさい」

 

席につかされ、お味噌汁だけ飲まされた。

鰹節の出汁に柔らかいお豆腐。お母さんのお味噌汁はおいしい。

 

今日はきょうちゃんも仕事で会えないから、夜は栞に電話してみた。

 

「招待状ありがと」

もう1年以上会ってない友人に、私はそう切り出す。

「うん。瞳子には是非来てほしいから」

スマホ越しに聞く友人の声はやたら、明るくテンションが高い。そう、思ってしまうのは、自分の気持ちが落ちてる証拠かなあ。

 

「うん、もちろん行くから。楽しみにしてるね」

浮かない気持ちを隠しながら、私も栞のテンションに合わせる。式の場所やプロポーズの言葉なんかを、喜々として語ってた栞が、急に声を潜めて探るように聞いてきた。

「ねえ、瞳子は?」

「え?」

「及川くん…だっけ。小説書いてた彼。まだ付き合ってるの?」

親友の「まだ」という言葉が、魚の小骨のように、胸に突き刺さる。「あー、うん…」低くくぐもった声で、相槌を打つのが精いっぱいだった。

 

 

きょうちゃんと私が付き合い出したのは、ハタチの夏だった。

大学生になって2回めの夏休み前。けど、私はサークルも入ってなくて、彼氏もいなくって、暇な夏休みを過ごすはずだった。

けど、文学部の仲間うちで、夏休みにどっかで集まりたいね、って話になった。

(どっかって、どこだよ…)

と、私が冷めたことを思ってたら、突如その会話に積極的に参加してたわけでもないのに、手をあげた子がいた。

「俺んち、両親いないし、ぼろいけど、部屋数だけはあるよ」」

それが及川恭輔くんこと、きょうちゃんだった。

 

仲間内10人で押しかけたきょうちゃんの家は、本人の申告通り。

 

「うわ、ひろーい」

「ぼろ…っ」

どちらかの感想しか出てこない、昭和なつくりの1軒家。

 

「悪いね、俺、ひとりだから、掃除とか行き届いてなくて」

雑巾を手に、Tシャツに短パン、汗防止のためか頭にターバンみたいにタオルを巻いたきょうちゃんが出てきた時は、みんなで吹いちゃった。

 

結局、みんなで掃除機掛けたり、雑巾がけして、きょうちゃんちを綺麗にして、汗だくになったから、順番にシャワー浴びて、縁側で座って冷たい西瓜食べて、1日目は終わった。

「何この、僕の夏休み、みたいなの」

「ホントホント、小学生だったら、夏休み絵日記のサイコーのネタだよな」

そんな風に言いつつも、みんなすごく楽しそうで、きょうちゃんはいじられるたびに、照れ臭そうに笑ってた。

 

2日目の午後は、庭でバーベキューをやることになった。確か鉄板とかあったと思う…と、不確かな及川くんの情報を元に、私たちは1階の奥の納戸や奥の客室の押し入れ(私の言葉選びが古いんじゃなく、この家にはクローゼットなんて、こじゃれたものがない)とかを探してた。

押し入れに頭を突っ込んで、腕を奥に伸ばした時、紙の束のようなものが見つかった。

(……?)

不思議に思って、それを掴んで、引っ張り出してみると、手書きの原稿用紙だった。

読書感想文、なんてレベルじゃない。厚さ3センチ以上。100枚は悠にある。

 

 

『勇者の巣窟』 夾

タイトルと名前らしきものが書いてあって、2行目から、いきなり本文だった。

あちこち直してあるし、オールシャーペンの手書きの文字は、かなり読みにくい。読みにくい…けど、面白い。

お話はRPGの勇者が、詰んでしまった洞窟があって、そこからの脱却方法をみんなでああでもないこうでもない、と愚痴りあってるもの。

 

20枚くらいを読んだところで。

 

「うわぁぁぁぁぁ、た、橘さん、何してるの」

後ろから、慌てまくったきょうちゃんが、私の持ってた原稿用紙をひったくる。

 

「あ…ご、ごめんなさい、勝手に」

「よ、読んだ?」

「ちょっとだけ。それ、及川くんが書いたの?」

 

顔を真っ赤にして、原稿用紙を後ろ手に持ったまま、きょうちゃんは頷いた。

 

「面白かったから、つい…読んじゃって、ごめんなさい」

「面白かった…って、ホント? 橘さん」

「うん。続き読みたい」

「…あ、じゃあ…」

 

おずおずときょうちゃんは、もう一度原稿用紙の束を私に手渡す。

「い、いいの?」

「けど、俺のいないところで読んで」

「わかった」

と頷いて、私はその束を持ってきたボストンの中にしまう。

 

きょうちゃんちから帰ってから、私はその原稿を何回も読んだ。RPGのゲームをパロった内容は、そのゲームをやったことがある人なら、くすくす笑えるものだったし、ストーリーも飽きずにぐいぐい引き込ませるものだった。

 

「これね、すごく面白かった。ありがとう」

新学期、きょうちゃんに会った時、私はそうお礼を言って、きょうちゃんに原稿を返す。

「…こ、こっちこそありがと」

きょうちゃんは恥ずかしいのか、目も合わせてくれなかったけど。

 

「及川くんの小説、人に読んでもらったことないの? もったいないよ、面白いのに」

「あー、いや、リアルの知人に読んでもらうのは初めてで…いつもは、ネットの小説投稿サイトに載せてるから」

「え、他のお話もある?」

「…橘さん、なんでそんな…」

 

私の食いつきっぷりに戸惑い気味のきょうちゃん。

 

「もっと読みたいもん、私、及川くんのお話のファンになっちゃった」

 

後にきょうちゃん曰く。

モノを書かずにいられない人間にとって、私のこの台詞は、殺し文句だったらしい。

 

アドレス交換して、きょうちゃんの小説投稿サイト教えて貰って、そこからぐんぐん私ときょうちゃんの距離が縮まった。

 

「あのさ、俺…橘さんのこと…うわあ、待って。いろいろ考えたんだけど、うまく言えない。小説の中だったら、もっと気の利いたセリフ出てくるのに」

言い訳なんだか独り言なんだかわからない言葉を、延々5分くらい聞かされた後で、きょうちゃんから「付き合ってほしいんだけど…」って言われたのは、その年のクリスマス。

 

 

 

――以来、7年。

私は小説を書いてるきょうちゃんが好きなんだし、応援したいと思ってる。のに。

 

時々、夢に生きるきょうちゃんと、現実を見てる私との間に、隔たりを感じてしまう。好きなだけじゃ、ダメなのかなあ。