現状維持のジレンマ #4


 

 

「…え、異動ですか?」

 

寝耳に水の話に、私は思わず聞き返す。まだ内示だからね、と前置きした上で、店長が朝から私に耳打ちしてくれた話は、私にはあまりありがたいものじゃなかった。

 

「異動というより、部署替えかな? 勤務はこのお店のままだから」

「はあ…」

寧ろ、店舗異動の方がはるかにマシ。だって、勤務地は異なっても、やる仕事内容は大きく変わらないもん。

店長の話は――私が文庫新書の担当から、文具担当に変更になる…というものだった。

 

うちのお店は売り場の一角に文具コーナーも設けている。手帳やボールペン、季節に拠ってはカレンダーや年賀状作成用のキットなども。

本を買いにくるついでに、そういうコーナーにも立ちよってくれる人がいるのはわかる。それに、今日日、本だけの売り上げでは経営は先細りする一方だから、わが社は本の売り上げの減少を食い止める手段として、文具にも力を入れ始めてる。

 

 

「あ、あの…ずっと文庫一本だったし、急に担当を代えられても」

「橘さん、それはわかるよ。君が本が好きなのも知ってる。けど、これは適性や人員の配置を見て…本社が決めたことだから」

「……」

上が決めたら従うしかない。けれど…正直、やりたくなかった。

 

 

異動は1週間後。仕事内容が変わるだけだから、準備も何もいらないけど、とりあえず自店で文具関係の雑誌は何冊か購入。そのまま自宅に帰るのではなく、きょうちゃんちに向かった。

 

呼び鈴を押しても、誰も出ないから、合いカギで中に入る。

 

きょうちゃん、バイトかな。2階のきょうちゃんの部屋に入ると、パソコンデスクに突っ伏して、眠ってるきょうちゃんの背中が飛び込んできた。

 

マウスをちょっと動かすと、きょうちゃんの使ってるテキストの画面になった。

小説書いてて、力尽きたかネタに詰まって、眠っちゃったみたい。

 

きょうちゃんのサイトはチェックしてるけど、ここはまだ読んでない。カーソルを動かして、モニターを注視する。

 

「私も、きょうちゃんのお話の主人公みたいに、異世界に飛ばされたい…」

読みながら、ひとりでに愚痴がこぼれてしまった。

 

 

自分が注文した本を並べて売る。時には手書きのポップなんかを作って、簡単な作品紹介をする――そんな風に、自分がプッシュした本が売れていくのを見るのは楽しいし、何より、私は、きょうちゃんの本をいつか、そんな風に紹介したかった。

中途で頓挫してしまった計画。新しい部署での仕事に前向きにはなれない。

今日、何度目かわからない溜息をついた時だった。

 

「…とーこちゃん?」

両腕を枕にして顔を埋めてたきょうちゃんが、ゆっくりと首をもたげる。凝ったのか、違和感があるのか、左右に振ってから、私の方を見てにっこりと笑う。

 

「とーこちゃんが異世界行っちゃったら、俺の小説誰が読んでくれるの」

「いーっぱい、いるじゃん、きょうちゃんの小説読んでくれる人なんて」

ほら、今日だけでユニアク2000オーバー。

 

先日落ちた作品とは別に、きょうちゃんはまた新たなお話を書き始めている。

落ちたことはショックだけれど、それと書くことへの意欲は別みたい。溢れるエピソード、有り余るバイタリティ。正直、きょうちゃんすごいって、尊敬する。

 

「ん~、でも目の前で読んでくれて、生の声で感想くれるのは、とーこちゃんだけでしょ? やっぱり俺はとーこちゃんいないと書けないよ」

 

『とーこちゃんいないと書けない』

嬉しい、呪いの言葉。そんな風に言われたら、私はきょうちゃんから離れられなくなる。

 

「今日、来るって言ってたっけ?」

「ごめん、突然」

「ううん。とーこちゃんなら、いつでも歓迎。けど、とーこちゃん…」

きょうちゃんは私の顔を見て、少し顔を曇らせる。

「最近、いっつも泣きそうな顔してるね」

「……」

 

きょうちゃんの視線と言葉に射抜かれて、私は今日、お店であったことを白状せざるを得なくなる。

 

「もちろんさあ、文具担当になったからって、レジもやるし、本の荷ほどきだってやるし。そんなに大きく職務内容が変わるわけじゃないんだけど」

「うん。けど、とーこちゃんがもやっとする気持ちわかる。好きなことに対して、責任持ちたいんだよね」

「……」

 

きょうちゃんは、どうしてわかるのかな。私が考えてること、言って欲しかった言葉。

 

 

「とーこちゃん、お腹空かない?」

「…空いた」

聞かれると意識が急に胃袋の方に向かう。そういえば、お昼もあんまり食べられなかった。

 

「なんか、作るよ。考えたら、俺、朝から何も食べてなかった」

「えー?」

「昨日、仕事の最中に思いついたシーンがあって、寝たら忘れちゃうから、帰ってきてすぐパソコン開いて、書きあがったら、寝落ちしちゃって。とーこちゃん、来るまで3時間くらい寝てたのかも」

「あ、あの体勢で?」

「うん。なんか、首がコリコリ」

 

 

お仕事帰ってきて、ずっと小説書いて、力尽きて寝てたのかな。

家族はいない。仕事はフリーター。

きょうちゃんは自由だ。羨ましくなるほどに。