現状維持のジレンマ #1


 

憎らしいくらい、天気予報通りに朝から降り出した雨は、昼を過ぎても、まだ一向に止む気配はない。

(あー、今日はもうだめだな…)

閑散とした売り場を見て、溜息をつく。

立ち読みされたあと、そのまま平台に投げられた本を棚に戻す作業も、今日はほとんどしていない。そもそも店内にお客さんがいないのだから、本棚だって乱れるわけがない。

 

「橘さん、5番行ってきちゃって」

副店長の平川さんに指示されて、私はレジカウンターから抜けて、バックヤードに入った。

 

5番はショート休憩。10番はランチ休憩。トイレに抜けたい時は33番。雨が降り出すと、それを知らせるために店内に『雨に歌えば』、が流れる。

県内に20店舗を構えるそこそこ大手の本屋。その社内だけで通じるメッセージだ。

 

ホットかアイスか悩んだ挙句、ホットのコーヒーを買って、休憩室のパイプ椅子に腰かけて、履いてたパンプスを脱ぐ。

朝10時から立ちっぱなしの足は、既にパンパンにむくんでる。

 

軽くふくらはぎを撫でて、マッサージしてから、スマホを取り出す。惰性でブックマークしてるサイトをいくつか流し読んでいたら、ある出版社のツイッターが目に留まった。

〇×文庫新人賞の結果がURLで貼られてる。

(結果出たんだ…)

流し読みしていた画面に視線が釘つけになり、スマホを握る手に、微かに汗がにじんだ。

どうかどうか、受賞してますように。

神様に祈りながら、私はリンク先を震える指で押してみた。

 

 

 

(…か、買い過ぎた…)

右手にずっしり重たいレジ袋、左肩に傘を差し掛け、私は駅へ向かった。改札に入る前に、スマホを見てみる。

――今から行くね

さっき送ったメッセージは既読になってるけど、レスは来てない。

「……」

行かない方が、いいのかな。

再びメッセージを送ろうか、自分の家に帰ろうか、迷って足が止まる。彼の家に行くのなら、乗る電車はいつもとは反対方面だ。

その瞬間。

OK、と書かれた札を持った女の子のスタンプが私のスマホの画面に突然現れた。

すぐにラジャ、のスタンプを送って、ちょうどホームに入ってきた電車に乗り込んだ。

 

 

4つ目の駅で降りて、15分歩いて、ついた古い1軒家。

チャイムも押さずに、ドアノブに手を掛けて中に入る。もう、日が暮れて、家の中も暗いのに、明かりはひとつもついてなかった。

 

「きょうちゃ~ん」

おっきな声で、この家の主の名前を呼ぶ。けど、私の声に反応はない。

鍵が開けっ放しなんだから、絶対、いるはずなのに。

「きょうちゃん、いるよねえ」

そんな呼びかけをしながら、私は2階に上がる。2階は手前のふたつは物置と書斎。奥が、きょうちゃんの部屋になってる。そのきょうちゃんの部屋に入った瞬間、私の足にぐにゃっと、畳でもフローリングでも、カーペットでもない感触が伝わってきた。

平べったくて、柔らかくって、あったかい。

 

それが床に寝そべったきょうちゃんの、背中だってことに気づくのに、3秒かかった。

 

「きょ、きょ、きょうちゃん?」

 

鳥目の私は、急いで足をおろして、すぐに入口のところに電気をつける。

 

 

「…とーこ、ちゃん…」

フローリングの床に腹ばいになって倒れてたのは、私の彼氏の及川恭輔こときょうちゃん。同い年の27才。

きょうちゃんの手のひらの先には、スマホが握られてる。

あー、これで一応、私のLINEにレスして、力尽きたのか。

 

「こんなとこで寝ちゃだめだよ」

「寝てたって言うか…電池が切れたみたいに動けなくなっちゃった」

 

身体は180センチと大きいけど、まるで子どもみたいなことを、きょうちゃんは言う。

 

とりあえず、起きようよ。と、きょうちゃんの身体を起こして、私たちは床の上にじかに正座して、向かい合う。

悔しさを握りしめたかのように、膝の上で、拳を固めて、きょうちゃんはぼそっと切り出した。

 

「とーこちゃん…ごめん」

多くを語らなくても『ごめん』の意味は、痛いほど伝わってきた。

 

さっき、私も見て、落ち込んだ新人賞の結果…。受賞した作品が列挙されたその中に、きょうちゃんの名前はなかった。

 

きょうちゃんの夢は小説家。今は、フリーターしながら、webサイトで、小説を公開してる。きょうちゃんが新しいお話を書けば、必ず読んでくれる固定の読者さんはいるし、今回の作品もランキングもポイントもそこそこで、人気もあったのに。

 

「や、やだなあ。きょうちゃん、私に謝らなくってもいいよお。今回は、残念だったね。うん。でも、しょうがないよ。また次が…」

泣き出しそうなきょうちゃんに、私はなるべく明るく声を掛ける。

「今回は自信あったのに~~~~。渾身の一作だったのに。やっぱり俺、才能ないのかなあ」

がっと、私に抱き着いてきたきょうちゃんの背中を「よしよし」って、お母さんみたいに擦ってあげた。

「そんなことないって。たまたま今回は、出版社の求めてる作品じゃなかっただけで…」

あ、この慰め3か月前にも使ったかも。

 

 

「たまたま今回、が10回も続けば、やっぱり何処からも必要とされてない、って思うんだけど」

本人はネガティブモード全開。こうなっちゃうと、言葉の慰めはあまり意味を成さない。そもそも、物書き目指してる人に、言論で勝てるわけがない。

 

「ね、きょうちゃん。お腹空いたでしょ。きょうちゃんの好きな生姜焼き作るよ。一緒に、食べよ?」

 

私は心の琴線でなく、胃袋に訴える作戦に出てみる。

 

「…あんまりお腹空いてない」

 

けど、きょうちゃんのお腹には響かなかったらしい。ダメか。

 

次の作戦を考えようとしていたら、きょうちゃんの身体がどんどん私の上にのしかかってきた。

 

「きょ…ちゃん?」

 

気が付くと、私の後頭部の下には、きょうちゃんの腕が差し入れられて、視界にはきょうちゃんの顔の奥に天井が映り込む。

 

「俺、ダメダメな彼氏でごめんね」

 

そう言いながら、きょうちゃんは私にキスしてきた。

 

(胃袋より、そっちか…)

自分の読みが外れたことに悔しさを覚えつつ、私の口内にまで入ってくるきょうちゃんの舌を受け入れる。

 

ダメじゃない、好きだよ。そう、言って欲しいんだよね。

 

打ちのめされた今だから、余計に。悔しさを、虚しさを、受け止めるクッション。私はきょうちゃんの、心の緩衝材で、いい。

 

「きょうちゃん…、私、次はラブストーリーが読みたいな」

下からきょうちゃんの頬を撫でて、私は言う。

角ばった輪郭、指先にぷつぷつ当たる剃り残した髭の痕。太めの眉も、男っぽくて、きょうちゃんの見た目は、ラブストーリの主役っぽくはないし、きょうちゃんが書くお話は、王道のファンタジーが多いけど。

 

「ラブストーリー? でも、俺、とーこちゃんしか知らないから」

 

自信なさげに言いながら、きょうちゃんは私の首筋に唇を這わせる。少し強めに吸い上げられて、私はびくっと身体を震わせる。

溺れて、いいよ。今は、現実忘れて。

 

きょうちゃんの描く世界なら、きょうちゃんは今、戦い疲れて動けなくなった勇者で。私は彼の疲れを癒す精霊とか魔法使いとか。

 

そういうのに、なれたらいいのに。

 

きょうちゃんの首に腕を回して、短い髪に指を添える。

きょうちゃんのキスが落ちてくる箇所が、じわじわと熱を帯びてくる。きょうちゃん自身も、熱くなってくるのが肌越しに伝わる。外は、まだ雨。だけど、私の上に降ってくるのは、きょうちゃんの情熱の雫。

 

「とーこ、ちゃん…っ」

もどかしそうに、きょうちゃんが私の名前を呼んで、ぴったりとふたりの身体を重ね合わせる。

 

きょうちゃんの夢が小説家で、いつか、自分の本を出すことなら。

私の夢は、きょうちゃんの本を、いつか、自分の店に並べること。

 

叶う日が来るのかな。深く深く入ってくるきょうちゃんの身体を、ぎゅって力強く抱きしめた。